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娘の妊娠が発覚してからの記録
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小6娘と夫婦の問題その3
不思議なもので夫婦で同じ目的に向かって生活すると、互いに協力できるようになる。
娘を健全に育てるために、知恵を出し合う。
今までは育児は全て私次第だったため、ものすごい重圧のなかなんとかもがいて子育てしてきた。だれも頼れる人は居なかったし、旦那に相談もできなかった。
でも今は、娘のことをどうしようと相談するようになった。

今が一番適度な夫婦の距離なのかなと思う。

と、同時に私の堪え忍ぶ戦いも始まった。
毎日、早番なのである。
娘が学校から帰って、だれも居ないから、寂しいと云うので、職場にお願いして毎日早番にしてもらった。
これが…かなりキツイ。
お弁当も作って極寒のなか6:45に保育園の門扉を開ける。それが、毎日。
いつまでこれで身体が持つのか、こちらが知りたい。
小6娘と夫婦の問題その2
盗んだ金は、娘が自分の心を守るために必要なお金だったのではないかと思う。
私と旦那の責任だ。

私は死んだのだから、もう旦那のことなんか何も怖くない。
旦那は娘が離婚のこと(旦那が離婚したいと言ったこと)を知っていると知りとても私に対し怒っていた。
あなたが離婚したいと言ったのだから、早く離婚すれば良かったのにと、思う。
彼の話を平たく言うと、「離婚を切り出したら思い通りになると思ったのに『離婚していいよ』と応じられて引っ込められなくなった」のだと思う。
勝手。

とりあえず今後は普段通りにする、離婚はとりあえずナシ、娘に私の悪口を言わない、ということになった。
小6娘と夫婦の問題
2023年が終わる…と年に一度のブログを思い出して更新。

最近娘が思春期をこじらせている。

それが目の当たりになったきっかけは、結構な額を私たち夫婦の財布から(風呂に入っているときや、深夜)抜き取っていたことがわかったこと。
それらはほぼ全て「すたぽら」という歌い手のグッズ購入に当てられていた。なんと一人で池袋のアニメイトへ行ったり、知らない人とラインのチャットで知り合い住所を知らせグッズ交換したりしていた。直接会ったこともあるそう。

お金がなくなった?と少し前から違和感は感じていたけれど、「私が使ったことを忘れてしまっただけかも」と確信を得ず。
娘がグッズを買っているのも知っていたけれど、旦那がお金を渡しているのだと思っていた。
でも、違った。
旦那も抜かれていたことで、旦那が証拠を掴んだのだ。
そこから、「リトルマーメイド」のアリエルの宝物コレクションを壊すトリトンの様な地獄絵図となった。

そして、娘と旦那の怒りの矛先は、予想通り私に向く。
娘がこうなったのは母親のせい。寂しくさせたから。離婚のことを娘に言ったから。私が家事をしないから。部屋が汚いから。しつけが出来ていないから。

娘は死にたいと言った。
スマホを没収され、生きてる意味がないのだそう。
それを聞いて私の方が死にたいと思った。絶望だ。
3日、仕事に行けず、「また私鬱に転落していくのか」「あの時のつらさをまたやるなんて耐えられない」「死んでラクになりたい」と思い、自殺の方法を調べる。
すると相談電話の番号が何よりも上に出てきて、死ぬ前に試しに電話をかけてみる。
電話の相手は、何も出来ない。状況は動かせない。ただ私の話を聞いていた。
私は、死んだつもりで生きることにした。

つづく
また、来た。夏休みの計画
今年も来た。夏休みの計画を立てる時期が。
去年は、どうにかこうにかがんばって、娘と2人で高速バスで富士急ハイランドに行ったっけ。
車が運転できないってこんなにアドバンテージとられるんだ、って実感した夏でしたわ。

そして、今年。今年もきっと家族そろった旅行は、行かないだろう。旦那に「旅行いかない?」なんて、ましてや「車出して」でさえ、絶対言いたくない。
崩壊している我が家でも、娘の夏休みになんとかして楽しいことを催したいという思いと、でも現実的に移動が大変だなって思いとで、胸がズキズキしてくる。
娘はこんにゃくパークに行きたいと言っていた。地図みたら、車ないと、厳しそう。どうしようって頭抱えてる。私には無理だからパパと行っておいでって言おうかな…。


この話とは関係ないけど、今年、PTAの地域グループの副班長になってしまった。くじ引きで。
今日、班長のママから色々決まったことがメールで添付されてきて、社交辞令で「なにかお手伝いできることがあれば教えてください」と返信したら「では、明日プリントを学校で印刷するのでお願いできますか」と返ってきた。
もう一人の副班長は「わかりました。明日ですね」とすぐ了承。
私仕事です。無理っす…。そういうの一月前に言ってくれればシフト調整するんだけどなあ…。急に明日と言われて出来る人って限られるだろうにと、ちょいとモヤモヤ。「何かお手伝いできるところがあれば、平日でしたら一月前に言ってください。日曜日ならいつでも空いてます」と前もって言えば良かったのかな。なんて思う。

そしてこんなめんどくさい親同士のやりとりがあるなんて、旦那は一つも知らないだろう。一生知らないままだろうな。
年長の担任になる。
今年は年長の担任になりました。
保育士になってから、今年で8年目ですが、年長担任ついに来ましたね。
この年長クラス、実は3歳児クラスの担任を持った二年前のクラスを一年越しに持ち上がる感じです。担任発表を受けた正直な気持ちは…「うれしい」でした。

自分用担任変遷メモ
フリー→0歳→0歳→2歳→2歳→フリー→3歳→2歳→5歳

一年越し持ち上がりって状況は何度かやっているので慣れてますが、やはり年長担任というのは緊張します。
3年で半数が退職する保育業界の中では勤続8年となるとすっかり古参組となってるんですが…ゆーて年長クラスは初めてです。でも今年度は娘が五年生になるタイミングでして、六年生になると卒業行事など入るのでこのタイミングに年長やらせとけーって上司の思惑もあり、年長に抜擢されました。がんばりまーす。
45万のバッグを買った。
CELINEでバッグを買った。
35歳。娘はこの間10歳になった。
一年間、美容院に行かずセルフカラー。スマホも楽天モバイルにし、靴はシマムラ。
もう、いいよね。ハイブランド一つ持っていても。新宿のタカシマヤで、ドキドキしながら見て、帰ってきてからもドキドキしてる。
皮で使えば味が出るよ、育てるバッグだよ、とかなんとか言われ、素敵だなと思ったものを買いました。


さて。我が家の状況ですが、今年の1/5に離婚の申し出が旦那からあってから、もう少しで一年経ちますが、進展ゼロです。
8月に「生活費渡さなくてもお前の給料でやりくりできるよね」的なことを言われて、確かにそう(ローンと光熱費が旦那が払ってるから)で、そのときについでに「離婚したいってのどうなったの」と聞いたら、「わからない」の一点張りでした。生活費入れないことには多少がんばってごねたけれど、結局なしくずしに旦那からの生活費はなくなり、今に至る。
だから、一年前と変わったことは、旦那が家にお金を入れなくなったことと、私と離婚したい気持ちがわからないらしい、ってこと。あと、そのころくらいから旦那がわたしに話しかけてくるようになって、ちょっとずつ日常会話が可能になり、旦那がどんどん親切になってきた。
たとえば、私が仕事で使ってる私物のポータブルスピーカーの充電コードがなくなったとき、一生懸命探してくれた上に、自分の仕事で使ってるコードを調べて、スピーカーに合うやつをくれたりした。

じゃあ、結局お金の問題で私にモヤモヤしてたんか?


旦那は自分が言った言葉(離婚したいってこと)うやむやにして、また日常を取り戻そうとしているらしい。まだ、離婚は早いと思っていた私にとっては大変ありがたいことだ。
でも、私が旦那に対して思うことが増大するのも止めれない。無視されてとてもつらかったこと。娘に寂しい思いをさせまいと、行事のときは仕事を休めるように職場に頼んだり、スケジューリングをがんばったこと。仕事をがんばって、お休み取っても文句言われないようにしたこと。
誰にも褒められない家事も頑張った。
その自分の一年が、旦那の「離婚したい」という言葉と共によみがえってくる。

もう、「離婚したい」と言われる前の自分には戻れないよ。
生まれて初めて、憂鬱な誕生日
もう、ゴールデンウィークも終わってしまう…

私は先日誕生日を迎えたのですが、生まれてはじめて、「最低最悪の誕生日」と思った誕生日でしたわ…。

ことの発端はもちろん、コロナの緊急事態宣言発令。で、実家に帰らない決断をし、「ま、ゆっくり娘と二人で過ごすか~」なんて思ってたら、旦那も臨時休業になった。

だーよーねーだよね。なんで、そこ予想できなかったんだ私…。臨時休業するとわかっていたら、むりやり実家に帰ったと思う…。
結果、家に旦那もいる、私も娘もいる、、ってゆう気まずい一週間が発生してしまいました…。

去年、私の誕生日は、旦那が手巻き寿司の用意をし、娘とプレゼントを用意してくれてお祝いしてくれました。
この前、娘に「きっとパパ、また前みたいにサプライズでお祝いしてくれるね(ハート)」と言われまして、「…ないないないない(だって離婚したいほど嫌われてるから)」と思いながら、何も知らない娘にいつまでも隠しておけないなとも感じてました。
これから夏休みもくると言うのに、家族旅行なんて絶対できないような夫婦関係。明らかに私を避ける旦那。
いつかは、いつかは、この状況をカミングアウトしなければ、娘が不安になるだろうなと。

自治体の「生き方相談」的な、カウンセリングを受けたときに、カウンセラーの先生から言われたこと…「子どもにとって、離婚までの坂道を、なるべく緩やかなものにするのが良い」ということ、そして「明日も今日と同じ様な日がくるという安心感を与えること」カミングアウトする際のポイントなどいろいろアドバイスを受けてました。
簡単に言えば、突然、「明日離婚します」ではなく、「少しずつ伝えて行く」のが良いってことみたい。

誕生会のサプライズうんぬんを娘が言い出したとき、カウンセリングのことをハッと思い出し「これは、今なんじゃない?」と思い、娘に「実は離婚したいって言われてんだよね」とカミングアウト…

できるわけねーーーーーーー!!!!

喉まで出かかって飲み込みました。
で、二日ほど悩んで悩んで、言い方とか考えながら…

二日後に言いました。

離婚したいと言われてること。
理由はママとパパの性格が合わないからで、娘のせいじゃないこと。
でも、いつ離婚するかは、わからないこと。
パパが、おうちの値段とかを調べて、ママに教えてくれることになってるけど、何ヵ月も何も言われてないこと。
パパは、「娘と暮らしたいけど、娘のためにはママと住んだ方が良いんじゃないか」と言っていてママは「絶対娘と離れたくない」と思ってること。
離婚しても、家も名前も学校も変わらないようにしたいと思ってること。

そんなことが夫婦の間にはあって、だから最近、ママが話しかけてもパパはママに話さない。旅行とかも、これからはパパと娘だけで行くとか、ママと娘だけで行くとかになっちゃうけど、そうゆう理由があるからだよ。
誕生会も、パパはママの誕生日はお祝いしないと思うから、ママと娘で誕生会しようね。



泣いてました。突っ伏して。
私も、泣きました。
悔しかったです。
もっともっと私情は話したかったけど、これが、今の限界。娘にパパの悪口は言わないこと、これが苦しい。
パパが私に言ってきたひどいことを、一つも伝えられない。

一通り泣いたあと、翌日からはまた何事もなかったかのように生活が進んでいきました。

何日か後の私の誕生日も、さめざめとした雰囲気の中、私が用意した手巻き寿司を、私を忌み嫌っている旦那も食べ(いや、食べんのかいー!!って思ったよね…どっかで食べてこいやって)、食事が終わってさっさと自室に旦那がこもり…。そのあとに娘がカードをくれました。

いやー!
サスペンスよりサスペンスでしたわ。
冷や汗止まらず、、
ほんと、ご飯の時だけ一緒に食べんの超謎。
そして安定の無言。作ってもらってそれはなくない?人として。なんにも言わないんだったらマジでご飯は一人でどっかで食べてきてほしいわ。。
ありがとうとか思ってないんだろうね。
あれから二ヶ月。
旦那に離婚したいと言われてから二ヶ月以上経つ。あの日以来、家庭はよどんでしまった。
私と旦那は挨拶以外の会話なく、お互いに何を考えているのかわからない。
かといって旦那から、離婚に関する新たな言葉があるわけではなく、私としては「あの話、どうなったんだろう」と思う次第。

離婚したいなら早く家の査定出すなり、話し合いの場を設けるなり、すればいいのに。
やっぱり離婚はやめるというならば、それもそれなりに話し合いが必要だと思うし。まあ、「離婚やっぱりやめる」ってパターンとは思えないほど旦那の対応はそっけないから、そのパターンはないと思うのよね。

私は自治体の家庭相談や法律相談に通ったりして情報を集めているけれど、揃って言われるのは「現状維持。こちらからアクションしないこと」。
なので、私は旦那からアクションあるまで、どんなに辛くても我慢してるというわけ。

もうひとつ言われたのが「子どもに嘘はつかないこと」。子どもには誠実に、対応すること。子どもは、今日という日と同じ一日が来ることにとても安心するもの。だから、いきなり離婚しましただと、情緒的に良くない、少しずつ状況を説明していくこと。だから私は「最近なんで、パパとママ話さないの。」と聞かれたとき、隠さず話すつもりでいる。そう聞かれるのも時間の問題だと思う。
2021年波乱の幕開け
娘がこないだ9歳になった。サンタさんはまだ信じてた。

最近、旦那が自由だ…。夜帰ってこないで、ゴルフ場に行ってることが増えた。
ご飯を作っても、「食べてきたから」と言うことが多く、これからは「家で食べたいとき連絡する」ということになった。ま、そんな連絡来たことないけど。
あれだけ、口うるさかった掃除もしなくなった気がする。ストレスが少し減った。



さて、私は普段どうしても掃除に力を注げないが、この年末年始は大掃除を頑張った。カーテンから、窓のサッシ、キッチンや洗面所も。
なかなか綺麗になった。ただ、エアコンと風呂は掃除は諦めて、掃除業者を予約。
年末に新たに買ったもの。複合プリンター、ダイニングチェア3脚。


と、ここまでは先週までのこと。

三が日を実家で過ごして、2日経った夜、旦那から離婚したいと申し出がある。
1/5の話。

10年間、我慢してたけど、性格が違いすぎる。という理由。
それを言われたら返す言葉もなく、「わかった。」と言った。何か言っても修復の余地はないなと思った。これからどうなるのか見当もつかないけど、とりあえず、おそうじ本舗はキャンセルしました。(そしてダイニングチェアは届いてしまいました…。)

これからのことを考えると不安。どうなっちゃうんだろう。娘に対して、ごめんねと思う。
最近のいろいろ
1.コロナウイルスが流行して半年。まだまだコロナコロナ言ってます。けど悪いことばかりではないです。面倒なPTAは縮小され、娘の運動会は中止なので、休めるかどうかで気を揉むこともなく、行事のカットで企画や書類の量は減ってその分保育に集中できる環境になりました。
緊急事態宣言中のSTAY HOME期間では、一生に一度かなと思うくらい家族の時間を作れたし。

2.この間、クリスマスプレゼントの前借りだと言って娘が自転車を買ってほしいとねだったので、随分前倒しして買い与えましたが、それをきっかけに近所の行き来がグッとラクになりました。
今度、美容院帰りに駅前で待ち合わせて映画でも見に行こうかなんて新しい試みを発案中。
そのうち私の職場まで自分で来られるようになれば、何かあったときの解決策の一つにはなるかもしれないなと思ってます。

3.娘は、ちょっぴりパパが苦手なよう。学校の眼科検診でひっかかったので、眼科受診をしなきゃいけないんだけど、病院などの類は特にパパと行くのを嫌がります。理由を聞くと「何かにつけ言ってきて嫌だ」とのこと。病院でのパパは特に嫌なのだとか…。
その気持ち、分かるだけに、「そっか〜〜…」しか言えないってゆう。
口うるさいってことだよね、要するに…。わかりすぎるー。本人に自覚がないだけにね…。

4.最近パパが新しい掃除機買って掃除ばっかりしてるのがストレス感じます。オレ食器片付けてますよ〜!!!!ガチャガチャガチャガチャ。そのうち割れるて。
オレ掃除機かけてますよ〜〜!!!!!がーーーーーーー。うっさ。私が出勤してからやってくれ。
トイレ掃除機も毎日やってる感出してるけどつい最近までやってなかったやないか。週末私がやっとんのじゃ。便座開けたら汚かったわ。前からやってたみたいなことゆーな。タオル換えてんのも私じゃ。換気扇もアイロンも上履き洗いも私がやっとんのじゃ。えらそにすんな。
今朝、キッチンに出してあるもの片付けなよ(どや、オレきれい好きやろ)、と言われてムッとした。あんたが買った靴やらシャツのタグとかそこらへんほったらかしだったとき私は黙って片付けたけどな?

やば。旦那の悪口ばっかになってる!!(汗)

娘が独り立ちしたら、一人(娘も一緒ならなお良し)で暮らしたいな〜。きっと、楽しいんだろうな〜。
口うるさいこと言われずに、自分のペースで掃除して、ご飯作って、洗濯して。あと10年以上かかるのかー。
ってか今度の10月で結婚十年目だ!!!
一人部屋を与える
満を持して、先月から一人部屋をつくる。
娘は喜ぶが、一人で眠るのはいささか寂しいようだ。
来年度から三年生なので、布団にはいる時間を21:00にのばす。
明日は娘の誕生日
今日は放課後にジブリ美術館に行ってきます。
明日は手巻き寿司をご希望のようなので、その通りに。
プレゼントはこまごまとしたものをいくつか買いたいと言うので、明後日の日曜日に。

最近は穏やかに日々が過ぎていってます。保育士してると、時々、専門的な研修を受ける機会がある(希望制で)んですが、その研修の中には子育てにも役立つことも結構あります。

子どもとの喧嘩に悩んで、このままじゃ私虐待しちゃうかも…と思った時期に、希望して受けた「虐待について」の研修は、ホントに私生活に役立ったし。
そして、こないだは、感情労働と言われているこの仕事で、どう自律(自らを律する)すれば良いか、という研修で。

もう、私のプライベートのための研修かと思うね。

でね、研修で「いいなー」と思うところをちょっと普段に取り込むと、自分の保育も私生活も、ちょっとずつ穏やかになっていくんです。不思議と。

「子どもの失敗を叱らない」って言うのは難しくても、「子どもに失敗という概念はない、失敗ではなく、ただその子の発達がそこじゃなかったというだけのこと。」と思えば、少し心が静まると思いませんか?

あとね、保育者の保育は、その保育者がどのような家庭で育ったのかがかなりの影響を及ぼしている。とか、興味深いです。安定型という家庭であっても三パターンくらい枝分かれしていて、自分の家庭環境の分析で自分の保育の傾向を知り、まずいなという状況に陥る前に対策が打てるというもの。

詳しくは(面倒なので)省きますが、私の場合は父性観に歪みがありそうで、こんにちの夫婦観にすら影響を及ぼしているよう。
そうなると夫婦の間で対等な関係が築けず、その歪みが子どもに行ってしまうという…。
そのルーツを紐解くと、今度は私の父と母も、夫婦の間で問題を生じていて…と負のループだったことが発覚。


ま、そんなこんなでちょっぴり難ありな自分を見直し、受け入れれば少しは家庭や仕事が楽になってくよってなもので、今はおかげ様で平穏無事な日常を送ってます。

自分の保育も少しずつ変わっています。
素直に、ダメな自分を見つめて良いところをのばして良くないところは是正したい、とまるで優等生みたいに思ってしまうんです。本当の話で。笑っちゃいますが本当に思ってるんです。

保育士はじめてもうすぐで丸五年たちますが、これからが多分スタートなんでしょうね。

娘の誕生日を前にして仕事の話をしてしまいました笑。
カテゴリー新しいの作らなきゃ!
さようなら、ベビーカー
タンスの肥やし(正しくは屋根裏の肥やし)になっていた、ベビーカー、チャイルドシート、エルゴの抱っこひも、ベビーゲートを、家庭支援センターの掲示板に張り出して、譲り手を探すことにしました。

全て無料に設定したところ、結構たくさん連絡いただいて、ありがたい。
粗大ごみなら、数百円、払わなきゃいけないところを、貰ってくれる(しかもありがとうって逆に言われるという)…。

こんな古いの誰か貰ってくれるのかなーなんて自信なさげに思っていたんですが、今日、最後の譲り手が決まりました。

最後まで残ったのは、コンビのベビーカー。
奇しくも一番思い入れの有るものと最後のお別れ。

取り外せるところは全てとりはずして手洗い。
娘がこぼしたお菓子の染みもきれいに。

毎日のことでしたわ…。
娘をこれに乗せて、児童館に行ったこと。
買い物に行ったこと。
河川敷を歩いたこと。

娘が大きくなってからは、ずっと邪魔者あつかい。いつかはまた二人目をと思っていたから捨てられませんでした。
今まで、ほったらかしてごめんねー。新しい持ち主のところで、あなたの能力を発揮してくださいね。

ベビーカーを買った日のブログ


九九マスター認定証
娘が学校で、九九マスター認定証なるものをもらってきた。

それぞれの段で三通りの言い方をできるようになると認定されるというもの。
×1からはじめる
×9からはじめる
ランダム

家で言わせたらだいぶ怪しいけど…学校では出来たようです。
大好き
大好き大好き。
娘が大好きだよ。
ずっと一緒にいたいよ。
でも、来年や再来年も娘が私を好きでいてくれるとは限らない…
喧嘩しても、好きだよ…。

大きくなったら、二人で温泉行こうね。
恋ばなしようね。エステ行こうね。

約束だよ…。
反抗期に一回は、私のこと嫌いになっても良いけど…絶対に、戻ってきてね…。

酔ってるなこれ…(;´д`)
また、娘と喧嘩
あー、またやっちゃった。
だって、腹が立つんだもん。
誰にって、旦那に。旦那への苛立ちを娘に喧嘩吹っ掛けて解消してる。最低だ。

旦那が「今朝(娘)が、玄関に埃がたまってるのをみて、『パパここ掃除しといて』だって。だから掃除しといた」と私に言い付けたので、私は「埃に気付いたのなら、自分で掃除しなさい。自分で出来ないのならば言い方を考えて言いなさい」と言う趣旨の注意を子どもにする。
子どもは、「パパと私の中の話をママに言われるのが納得いかない」ということで泣く。
旦那無言。この時点で私はかなりイラつく。

私「私は思ったことを言っただけだから。納得出来ないなら仕方ない。この話はおしまい。お風呂入っといで」
娘「…ねえ、私何か悪いことした??!」
旦那、無言。
私「は?」←ここで火がつく

で、娘と言い合いになるんだけど、イライラすることを言う娘にもイライラしたけど黙ってる旦那にはもっとイライラする。

娘に(おまけに隣にいる旦那にも向けて)「ママが怒ることあなた言ってるよ、気付かないの?箸の持ち方の前にそうゆうとこ直しなよ。」って言った。

箸の持ち方は、旦那がものすごくこだわって食事の時間を台無しにしても毎日注意してること。食事がまずくなるくらいに言い続けてる。箸の持ち方だけじゃなく、「箸(は正しく持て)!左手(は皿に添えろ)!音(少しも立てるな)!」と、一緒に食事したくなくなるくらい言う。旦那のそんなところが、嫌いだ。だから、それも引っかけて、娘に言ってるようで旦那に対しても嫌味を言いたくて出たのが「箸の持ち方より先にそれを直しなよ」だ。

そしたら、旦那は今まで中立ですよーと都合よく黙ってるだけだった癖に、高いプライドで「箸は大事だろう」って言い返してきた。
うるせー。黙ってろ。と思った瞬間に「パパは黙ってて」と口に出た。

そっからは、正直娘の言葉なんてほんとどーでもよくて、ただただ毎日苦痛な朝食のことばかりが頭に浮かんでくる。箸!左手!音!背筋!髪の毛!とよくもまあ、そんだけうるさく注意できるよね。
ほんとにさ、そんな食卓、誰が楽しい?毎日つまんないんだわ。横で聞いてる私がそうなんだから、注意されてる娘は、もっとだろうね。旦那にも、小さいときの家庭の事情で相当なコンプレックスがあるんだろうね。食べ方だけは綺麗にするみたいな意地で育ったわけ?

正直、この喧嘩に食事のことなんて一つも関係ないけど、喧嘩中考えてるのは食事のことばっかりで、むかつく対象は旦那なのに、なぜか娘と口喧嘩してる。意味不明。

娘が「埃については、パパが何も思ってないなら別にいいんじゃないの。」と。ほんとにその通りだよ。あんたが正しいよ。
だからさ、なんで私が娘と喧嘩しなきゃいけないのさ。


喧嘩しながらあることに気付く。
ああ、私、旦那に立ち向かえないからって、娘に当たってる。「(娘)の『掃除しといて』という言葉に対して嫌だと思うならあなたが自分で言いなさいよ」と旦那に面と向かって言えないから、娘に当たってる。「毎日毎日、食事中うるさいんじゃぼけ」と言えなくて、娘に当たってる。


娘、さっきは謝れなかったけど、ごめん。
ママが、間違ってたよ。
いつか、私が旦那に、ちゃんと言える日が来るんだろうか…。
その前に旦那と食事するのを避ける気がするわ。
母がやらかした話
旦那のゴルフ(早朝出発)の日は、私の遅番の日にしてもらうようにしてます。なぜなら娘の朝の面倒を見る人が居なくなるからです。

それなのに今日はやらかしてしまいました。
旦那ゴルフ、私早番。
いやいやいや娘一人ぼっちになっちゃうじゃん…。
そうなった原因は全部私のせいなんだけど…。

そもそも今日は遅番で、旦那にも、「この日ゴルフいいよー」って言ってあって、月の半ばに研修が決まって急遽早番に変わったことを、旦那にいい忘れてた。研修のこと自分自身も忘れていたよ…。

そいで、気づいたのが昨日の夜で、娘に、「明日、パパもママもいないけど、一人で学校行ける?」って聞いたら、もちろんパニックだよね…突っ伏して泣いちゃった…。

その状態見てこりゃだめだなと思って結局仕事場に娘を連れてくことにしました。
旦那は、ゴルフやめるつもりはなさそうだったし私がまいた種だし自分で何とかしなきゃ!って…。

いつもより一時間早く起こして、絶対眠いと思うけど何とか事務所で絵本読んでいい子にしててくれました…。
まじで助かったわーーー。

今度こんなことないようにほんと気を付けないと…。。やらかしちゃった話でした。
わくわくさん
昭和61年生まれの私にとって、のちにデザイン科に入る礎になったと言っても過言ではない、わくわくさんにお会いする機会がありました。

私の同級生は、わくわくさんのこと「おれらの神」と言っていました。まさにその通り。
ものづくりへの興味はわくわくさんが高めてくれました。

昔テレビで観たままの陽気な方で、衰えてないトークの面白さ…楽しませていただきました。
天皇即位の儀
昨日は祝日でありがたい。
おまけに今日は土曜日の振休で2連休。ありがたい。

大掃除をちょこちょこやってます。
屋根裏が片付いて来た。

中学生になる前に多分、一人部屋が欲しいと言い出す気がするので、今から整理。
一人部屋は、一人で眠れるようになったらだな。
娘が荒れてた話2
今考えれば…ですけど、娘が言ってた「全部ママのせい」、あれは多分、当たってたんだと思います。
私に余裕がなくて、心のはしにも娘が居なかったから、娘は(娘も)、孤独だったと思います。
兄弟もなく話相手も居ない中で娘もずっともがいて寂しさを理解してほしいという気持ちだったんだと思います。

あの、平手打ちの日から、私はなるべく娘と一緒に寝るようにしました。
宿題の音読も、前よりは多少ちゃんと聞いて、感想を言うようにしました。

何が正解かわかんないですが、二人っきりが多い私たちなりに、二人で頑張っていこうと思います。
娘が荒れてた話
少し前ですが、小2の娘が荒れてました。
何かにつけて私を困らせて怒られ、泣いて暴れて…と言った具合です。
今年の春から夏にかけてが、一番私と娘の関係は悪かった。
私は娘が怖かったし、パパのことも怖かった。

娘はパパのことは好きだし、パパはパパで娘のことだけは、好きだろうし。私の居場所は、ここになし。
ただ私はパパに怒られないように、重い身体で家事はなんとか最低限やって…それでも、「なってない」「やってない」とパパの望む水準ではこなせずでした。
仕事を休んでから復帰してほどなくのことで、暗闇の中、もがいてるのに抜け出せない感じ。

そうゆうとこさ、子どもはよく見てるよね。
家のヒエラルキーで、私は底辺でした。

娘は、そんな中、私にわがまま言って、私に叱られ、泣き疲れた後に「好きなテレビ見逃したのは、ママが私を叱ったからだ。謝って。私に」だって…で、頭に血が上ると私のこと蹴ったりする。物にも当たるし。
そんなことが日に一回か二回。

その頃、正直娘のことちょっと嫌いになりました。
パパの前、学校ではやらないんだよね。いい子ちゃんなんです。

ある日、いつも通り暴れて号泣し壁やら扉やらを蹴り飛ばす娘に、私は「いい加減にしろ!!!」と怒鳴り、付け平手で娘のほほをバチーーーーーン。
一瞬、時が止まりましたね。

でも私、これしか娘の暴走を止める手だてがわからないくらい、もう行き着くとこまでいっちゃってたんだと思う。
パパは私の色々に対してイラついてたし、子どものこと相談しても対岸の家事で、ほんとに、その頃の私は手足を懸命にかいて泳いだって沈んでいく沼の中にいた。

そんな中の平手打ち。
そもそも大泣きしてた娘は一瞬泣き止んで、また大泣き。
「先生は、何があっても暴力はいけないって言ってたよ!」
…そりゃそうだ…そんなのわかってる。でも、そうでもしなけりゃ、終わらないじゃないの。

で、たたいたあとにしくしく泣いて布団に入る娘に、少したってから声をかけた。

「どうすればこうならずに済むのか、ママもわからないよ…ママも、もう疲れたよ。喧嘩したら、最後は全部ママのせいにされて、お風呂入れって言ったママが悪いって言われて、 あなたに蹴られたりして、もうママわからない。お願いだから、二人で、なんとかしようよ…。」言いながら私も涙が出てきた。

娘は、何も言わずに寝たふりしてたけど、あの日以来、今日までずっと、娘は暴れなくなった。

づつく
幼保特例で幼稚園教諭免許を取得する話
大学の単位を取って幼稚園教諭の免許を取得しました。
正しくは、申請中。今日都庁に申請しに行った!
都庁は第二庁舎14階の教育人事部で受け付けてくれますよー。
平日9:30頃行ったら私だけで、順番のプレートは2番。30分程で完了しました。


保育士→国家試験でも取得出来る
幼稚園教諭→大学とかで単位を取って、取得出来る

ってゆうのが今まで基本だったので、保育士は社会人になっても年取っても、頑張れば取得出来るんだけど、幼稚園教諭は、学校に行かない限りは取れないものでした。

でも、今は幼保特例という期間なので(今年までだった気がする!)、大人でも条件さえ整えば取得出来ちゃうんです。

しかも、私の働いてるところでは取得したら、かかった費用を少し負担してくれるので、この機会に頑張ってみようと思って、単位取得しました。

単位は8つ。私は仕事をしながらはキツイって思ったので、最短の半年ってゆうのはやめて、一年がかりにするつもりで、大学の通信に申し込み。
テストもレポートもさほど難しくなくて、教科書さえ読めば問題なしでした。
体調を崩して仕事を休んでる期間、1単位だけ試験に被ってしまい、それはもう勉強せず…でしたが受けるだけ受けてなんとかクリア。
パソコンで全て試験するので、通学もないし、このミッションに関してはあまりストレスにはなりませんでした。

費用や、準備したものについてはおいおい記録していきますね。
続く
抑うつ症状になった話2
診断書には「抑うつ」とありました。

だせー。それが私の最初の印象でした。
抑うつってなんだよ…まだ、甲状腺の病気の方が、休みやすいよ…。なんなんだよ…。

鬱とか抑うつとかに理解がないわけじゃないんですが、回りがそれを許さないだろうなと、まず保身に気持ちが向かいましたね…。
カッコ悪…復帰したら、どうなるんだろう?
なんて言われるんだろう…

自分ではどうしようもないくらいに心が疲れていたので、休むしか選択肢がないのも分かってました。でも、でも…すごくすごく、プライドが邪魔していました。

それからお休みを頂いている間は、一ヶ月くらい、パパ(旦那)にそのことを言えませんでした。仕事も行ってるふりをしてました。
パパが怖かったんです。
パパに怒られる、パパを失望させる、パパに見放される…そんなことばっかり考えて、言えなかったんです。パパに心の病気に理解があるとは決して思えなかったです。
(結局、カミングアウトは喧嘩ついでのものになりました。)

そんなわけで、2019年1月から2月はほぼ丸々お休みを頂いてました。
抑うつ症状になった話
実は、去年の今頃(2018年後半)、私は体調を崩しました。
その事について記録しておこうと思います。


バリバリに保育園で、働いていたのですが、2018年の夏ごろに自分の体調に違和感を感じ始めました。ただそのときはまだ仕事に支障の出るほどではなく、市販薬を飲む程度でした。
今考えると、たとえ体調が悪くなったとしても仕事を休める状態ではなかったです。娘が熱を出した時でさえ、自分からは休むとは言えず娘を一人家に置いてきたくらいです。
そのくらい、職場に人が少なかったです。少ないのに、園の行事だらけで、アップアップしていました。

なんとか運動会は乗り切りましたが、12月になると朝、ことさら日曜日の夜や月曜日の朝に、心臓が痛くなったり、仕事中に耳鳴りがしました。帰宅中には喉がつまったり過呼吸になることが増えました。
その時は、家族にも言えませんでした。
日ごとに体調が悪くなる一方なのに病院に行く時間も取れず、対策もわからず、それでようやく、園長先生に相談しました。
その時は、「このような状態なので、いつみんなに迷惑をかけることになるかわからない」と話しました。
一番状態が悪かったのは2018年の12月の職員会議で、座っているのも、歩くことも、かなり辛かったです。その時は、胸と、頭と、耳が痛かったです。

その時は、間もなくやってくるお正月のお休みで、治ると思ってました。現にお休み中は一度も不調を感じず、治った、良かった、と思いました。
初出勤の日も、年末よりも良くなったと思いました。

問題はその夜です。
体調が悪くなったのと同じくらい、言い表せない不安感に襲われました。こんなに辛いことが毎日続くなんて耐えられない、死にたい、死のうと思いました。

次の日、とうとう出勤できませんでした。
本当は出勤したかったです。心では行こう行こうと思っているのに起き上がれない、起き上がってから次の行動まで、心臓のバクバクがおさまらない。支度するだけでかなりの時間を要し、もう時間がない、行かなきゃと玄関先でまた胸が痛む、座る、立てない、となってしまいました。

病院に行き、症状と既往歴から甲状腺の検査など行いましたが、いずれも病的と言える範囲ではなく、疲れでしょうとのことでした。

まず休むようにと言われ診断書を出されましたが、発表会を理由に断りました。でも、結局その週は、仕事ができる状態ではありませんでした。
次の週、診察するとまた休むように言われました。今のあなたは全く判断力が働いていない状態だ、休めば戻れるかもしれないところにいるのに休もうとしなかった、今は自分で何も判断するな、と言うことを強く言われました。

前週の時点ではせめて発表会のあとにと思っていたのですが、その日は「でも」と反論する気力もなく、言われるまま…そうしろと言われるままに!医者の言葉を受け入れました。
情けなくて、恥ずかしくて、たくさん泣きました。

続く
ブログを手紙にする。
なんとか一年に一度は投稿出来てるんだな。笑

ブログ、消そうかな…なんて思って久しぶりにアクセスしたら、娘との思い出や、毎日毎日どうしようもないくらいにいっぱいいっぱいで過ごしていたことなどを振り返ることができて、涙。
それで、ある考えがよぎって、実行しようと思いました。

それは、娘が成人したら…いや、結婚したら…もしくは妊娠したら(って、ほぼ未定じゃん)、このブログを教えてあげるってこと。
どれほどまでに私が娘に会いたくて生んで、どれだけ苦しくて好きだったかを伝えてあげたいなって急に思ったのです。

まだまだ長い道のりですが、一年に一回はアップしたい(低い目標だけど)。
娘の事ばかりじゃないかもしれないけど。
愚痴るかも知んないけど。

大好きだよ。生まれてから死ぬまでずっと。
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プロフィール
HN:
nawo
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性別:
女性
職業:
主婦
自己紹介:
保育士で、一児のママ。

妊娠発覚2011年4月から記録です。
切迫早産から入院→2011年12月、二時間半の超安産。
子育て中に保育士試験を受験して、保育園で働いてます。
妊娠中の記録と育児の記録、仕事の記録。

娘が人の親になる時に渡すつもりの壮大なラブレターです。

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