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娘の妊娠が発覚してからの記録
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小6娘と夫婦の問題その3
不思議なもので夫婦で同じ目的に向かって生活すると、互いに協力できるようになる。
娘を健全に育てるために、知恵を出し合う。
今までは育児は全て私次第だったため、ものすごい重圧のなかなんとかもがいて子育てしてきた。だれも頼れる人は居なかったし、旦那に相談もできなかった。
でも今は、娘のことをどうしようと相談するようになった。

今が一番適度な夫婦の距離なのかなと思う。

と、同時に私の堪え忍ぶ戦いも始まった。
毎日、早番なのである。
娘が学校から帰って、だれも居ないから、寂しいと云うので、職場にお願いして毎日早番にしてもらった。
これが…かなりキツイ。
お弁当も作って極寒のなか6:45に保育園の門扉を開ける。それが、毎日。
いつまでこれで身体が持つのか、こちらが知りたい。
小6娘と夫婦の問題その2
盗んだ金は、娘が自分の心を守るために必要なお金だったのではないかと思う。
私と旦那の責任だ。

私は死んだのだから、もう旦那のことなんか何も怖くない。
旦那は娘が離婚のこと(旦那が離婚したいと言ったこと)を知っていると知りとても私に対し怒っていた。
あなたが離婚したいと言ったのだから、早く離婚すれば良かったのにと、思う。
彼の話を平たく言うと、「離婚を切り出したら思い通りになると思ったのに『離婚していいよ』と応じられて引っ込められなくなった」のだと思う。
勝手。

とりあえず今後は普段通りにする、離婚はとりあえずナシ、娘に私の悪口を言わない、ということになった。
明日は娘の誕生日
今日は放課後にジブリ美術館に行ってきます。
明日は手巻き寿司をご希望のようなので、その通りに。
プレゼントはこまごまとしたものをいくつか買いたいと言うので、明後日の日曜日に。

最近は穏やかに日々が過ぎていってます。保育士してると、時々、専門的な研修を受ける機会がある(希望制で)んですが、その研修の中には子育てにも役立つことも結構あります。

子どもとの喧嘩に悩んで、このままじゃ私虐待しちゃうかも…と思った時期に、希望して受けた「虐待について」の研修は、ホントに私生活に役立ったし。
そして、こないだは、感情労働と言われているこの仕事で、どう自律(自らを律する)すれば良いか、という研修で。

もう、私のプライベートのための研修かと思うね。

でね、研修で「いいなー」と思うところをちょっと普段に取り込むと、自分の保育も私生活も、ちょっとずつ穏やかになっていくんです。不思議と。

「子どもの失敗を叱らない」って言うのは難しくても、「子どもに失敗という概念はない、失敗ではなく、ただその子の発達がそこじゃなかったというだけのこと。」と思えば、少し心が静まると思いませんか?

あとね、保育者の保育は、その保育者がどのような家庭で育ったのかがかなりの影響を及ぼしている。とか、興味深いです。安定型という家庭であっても三パターンくらい枝分かれしていて、自分の家庭環境の分析で自分の保育の傾向を知り、まずいなという状況に陥る前に対策が打てるというもの。

詳しくは(面倒なので)省きますが、私の場合は父性観に歪みがありそうで、こんにちの夫婦観にすら影響を及ぼしているよう。
そうなると夫婦の間で対等な関係が築けず、その歪みが子どもに行ってしまうという…。
そのルーツを紐解くと、今度は私の父と母も、夫婦の間で問題を生じていて…と負のループだったことが発覚。


ま、そんなこんなでちょっぴり難ありな自分を見直し、受け入れれば少しは家庭や仕事が楽になってくよってなもので、今はおかげ様で平穏無事な日常を送ってます。

自分の保育も少しずつ変わっています。
素直に、ダメな自分を見つめて良いところをのばして良くないところは是正したい、とまるで優等生みたいに思ってしまうんです。本当の話で。笑っちゃいますが本当に思ってるんです。

保育士はじめてもうすぐで丸五年たちますが、これからが多分スタートなんでしょうね。

娘の誕生日を前にして仕事の話をしてしまいました笑。
カテゴリー新しいの作らなきゃ!
さようなら、ベビーカー
タンスの肥やし(正しくは屋根裏の肥やし)になっていた、ベビーカー、チャイルドシート、エルゴの抱っこひも、ベビーゲートを、家庭支援センターの掲示板に張り出して、譲り手を探すことにしました。

全て無料に設定したところ、結構たくさん連絡いただいて、ありがたい。
粗大ごみなら、数百円、払わなきゃいけないところを、貰ってくれる(しかもありがとうって逆に言われるという)…。

こんな古いの誰か貰ってくれるのかなーなんて自信なさげに思っていたんですが、今日、最後の譲り手が決まりました。

最後まで残ったのは、コンビのベビーカー。
奇しくも一番思い入れの有るものと最後のお別れ。

取り外せるところは全てとりはずして手洗い。
娘がこぼしたお菓子の染みもきれいに。

毎日のことでしたわ…。
娘をこれに乗せて、児童館に行ったこと。
買い物に行ったこと。
河川敷を歩いたこと。

娘が大きくなってからは、ずっと邪魔者あつかい。いつかはまた二人目をと思っていたから捨てられませんでした。
今まで、ほったらかしてごめんねー。新しい持ち主のところで、あなたの能力を発揮してくださいね。

ベビーカーを買った日のブログ


九九マスター認定証
娘が学校で、九九マスター認定証なるものをもらってきた。

それぞれの段で三通りの言い方をできるようになると認定されるというもの。
×1からはじめる
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家で言わせたらだいぶ怪しいけど…学校では出来たようです。
大好き
大好き大好き。
娘が大好きだよ。
ずっと一緒にいたいよ。
でも、来年や再来年も娘が私を好きでいてくれるとは限らない…
喧嘩しても、好きだよ…。

大きくなったら、二人で温泉行こうね。
恋ばなしようね。エステ行こうね。

約束だよ…。
反抗期に一回は、私のこと嫌いになっても良いけど…絶対に、戻ってきてね…。

酔ってるなこれ…(;´д`)
また、娘と喧嘩
あー、またやっちゃった。
だって、腹が立つんだもん。
誰にって、旦那に。旦那への苛立ちを娘に喧嘩吹っ掛けて解消してる。最低だ。

旦那が「今朝(娘)が、玄関に埃がたまってるのをみて、『パパここ掃除しといて』だって。だから掃除しといた」と私に言い付けたので、私は「埃に気付いたのなら、自分で掃除しなさい。自分で出来ないのならば言い方を考えて言いなさい」と言う趣旨の注意を子どもにする。
子どもは、「パパと私の中の話をママに言われるのが納得いかない」ということで泣く。
旦那無言。この時点で私はかなりイラつく。

私「私は思ったことを言っただけだから。納得出来ないなら仕方ない。この話はおしまい。お風呂入っといで」
娘「…ねえ、私何か悪いことした??!」
旦那、無言。
私「は?」←ここで火がつく

で、娘と言い合いになるんだけど、イライラすることを言う娘にもイライラしたけど黙ってる旦那にはもっとイライラする。

娘に(おまけに隣にいる旦那にも向けて)「ママが怒ることあなた言ってるよ、気付かないの?箸の持ち方の前にそうゆうとこ直しなよ。」って言った。

箸の持ち方は、旦那がものすごくこだわって食事の時間を台無しにしても毎日注意してること。食事がまずくなるくらいに言い続けてる。箸の持ち方だけじゃなく、「箸(は正しく持て)!左手(は皿に添えろ)!音(少しも立てるな)!」と、一緒に食事したくなくなるくらい言う。旦那のそんなところが、嫌いだ。だから、それも引っかけて、娘に言ってるようで旦那に対しても嫌味を言いたくて出たのが「箸の持ち方より先にそれを直しなよ」だ。

そしたら、旦那は今まで中立ですよーと都合よく黙ってるだけだった癖に、高いプライドで「箸は大事だろう」って言い返してきた。
うるせー。黙ってろ。と思った瞬間に「パパは黙ってて」と口に出た。

そっからは、正直娘の言葉なんてほんとどーでもよくて、ただただ毎日苦痛な朝食のことばかりが頭に浮かんでくる。箸!左手!音!背筋!髪の毛!とよくもまあ、そんだけうるさく注意できるよね。
ほんとにさ、そんな食卓、誰が楽しい?毎日つまんないんだわ。横で聞いてる私がそうなんだから、注意されてる娘は、もっとだろうね。旦那にも、小さいときの家庭の事情で相当なコンプレックスがあるんだろうね。食べ方だけは綺麗にするみたいな意地で育ったわけ?

正直、この喧嘩に食事のことなんて一つも関係ないけど、喧嘩中考えてるのは食事のことばっかりで、むかつく対象は旦那なのに、なぜか娘と口喧嘩してる。意味不明。

娘が「埃については、パパが何も思ってないなら別にいいんじゃないの。」と。ほんとにその通りだよ。あんたが正しいよ。
だからさ、なんで私が娘と喧嘩しなきゃいけないのさ。


喧嘩しながらあることに気付く。
ああ、私、旦那に立ち向かえないからって、娘に当たってる。「(娘)の『掃除しといて』という言葉に対して嫌だと思うならあなたが自分で言いなさいよ」と旦那に面と向かって言えないから、娘に当たってる。「毎日毎日、食事中うるさいんじゃぼけ」と言えなくて、娘に当たってる。


娘、さっきは謝れなかったけど、ごめん。
ママが、間違ってたよ。
いつか、私が旦那に、ちゃんと言える日が来るんだろうか…。
その前に旦那と食事するのを避ける気がするわ。
母がやらかした話
旦那のゴルフ(早朝出発)の日は、私の遅番の日にしてもらうようにしてます。なぜなら娘の朝の面倒を見る人が居なくなるからです。

それなのに今日はやらかしてしまいました。
旦那ゴルフ、私早番。
いやいやいや娘一人ぼっちになっちゃうじゃん…。
そうなった原因は全部私のせいなんだけど…。

そもそも今日は遅番で、旦那にも、「この日ゴルフいいよー」って言ってあって、月の半ばに研修が決まって急遽早番に変わったことを、旦那にいい忘れてた。研修のこと自分自身も忘れていたよ…。

そいで、気づいたのが昨日の夜で、娘に、「明日、パパもママもいないけど、一人で学校行ける?」って聞いたら、もちろんパニックだよね…突っ伏して泣いちゃった…。

その状態見てこりゃだめだなと思って結局仕事場に娘を連れてくことにしました。
旦那は、ゴルフやめるつもりはなさそうだったし私がまいた種だし自分で何とかしなきゃ!って…。

いつもより一時間早く起こして、絶対眠いと思うけど何とか事務所で絵本読んでいい子にしててくれました…。
まじで助かったわーーー。

今度こんなことないようにほんと気を付けないと…。。やらかしちゃった話でした。
わくわくさん
昭和61年生まれの私にとって、のちにデザイン科に入る礎になったと言っても過言ではない、わくわくさんにお会いする機会がありました。

私の同級生は、わくわくさんのこと「おれらの神」と言っていました。まさにその通り。
ものづくりへの興味はわくわくさんが高めてくれました。

昔テレビで観たままの陽気な方で、衰えてないトークの面白さ…楽しませていただきました。
天皇即位の儀
昨日は祝日でありがたい。
おまけに今日は土曜日の振休で2連休。ありがたい。

大掃除をちょこちょこやってます。
屋根裏が片付いて来た。

中学生になる前に多分、一人部屋が欲しいと言い出す気がするので、今から整理。
一人部屋は、一人で眠れるようになったらだな。
娘が荒れてた話2
今考えれば…ですけど、娘が言ってた「全部ママのせい」、あれは多分、当たってたんだと思います。
私に余裕がなくて、心のはしにも娘が居なかったから、娘は(娘も)、孤独だったと思います。
兄弟もなく話相手も居ない中で娘もずっともがいて寂しさを理解してほしいという気持ちだったんだと思います。

あの、平手打ちの日から、私はなるべく娘と一緒に寝るようにしました。
宿題の音読も、前よりは多少ちゃんと聞いて、感想を言うようにしました。

何が正解かわかんないですが、二人っきりが多い私たちなりに、二人で頑張っていこうと思います。
娘が荒れてた話
少し前ですが、小2の娘が荒れてました。
何かにつけて私を困らせて怒られ、泣いて暴れて…と言った具合です。
今年の春から夏にかけてが、一番私と娘の関係は悪かった。
私は娘が怖かったし、パパのことも怖かった。

娘はパパのことは好きだし、パパはパパで娘のことだけは、好きだろうし。私の居場所は、ここになし。
ただ私はパパに怒られないように、重い身体で家事はなんとか最低限やって…それでも、「なってない」「やってない」とパパの望む水準ではこなせずでした。
仕事を休んでから復帰してほどなくのことで、暗闇の中、もがいてるのに抜け出せない感じ。

そうゆうとこさ、子どもはよく見てるよね。
家のヒエラルキーで、私は底辺でした。

娘は、そんな中、私にわがまま言って、私に叱られ、泣き疲れた後に「好きなテレビ見逃したのは、ママが私を叱ったからだ。謝って。私に」だって…で、頭に血が上ると私のこと蹴ったりする。物にも当たるし。
そんなことが日に一回か二回。

その頃、正直娘のことちょっと嫌いになりました。
パパの前、学校ではやらないんだよね。いい子ちゃんなんです。

ある日、いつも通り暴れて号泣し壁やら扉やらを蹴り飛ばす娘に、私は「いい加減にしろ!!!」と怒鳴り、付け平手で娘のほほをバチーーーーーン。
一瞬、時が止まりましたね。

でも私、これしか娘の暴走を止める手だてがわからないくらい、もう行き着くとこまでいっちゃってたんだと思う。
パパは私の色々に対してイラついてたし、子どものこと相談しても対岸の家事で、ほんとに、その頃の私は手足を懸命にかいて泳いだって沈んでいく沼の中にいた。

そんな中の平手打ち。
そもそも大泣きしてた娘は一瞬泣き止んで、また大泣き。
「先生は、何があっても暴力はいけないって言ってたよ!」
…そりゃそうだ…そんなのわかってる。でも、そうでもしなけりゃ、終わらないじゃないの。

で、たたいたあとにしくしく泣いて布団に入る娘に、少したってから声をかけた。

「どうすればこうならずに済むのか、ママもわからないよ…ママも、もう疲れたよ。喧嘩したら、最後は全部ママのせいにされて、お風呂入れって言ったママが悪いって言われて、 あなたに蹴られたりして、もうママわからない。お願いだから、二人で、なんとかしようよ…。」言いながら私も涙が出てきた。

娘は、何も言わずに寝たふりしてたけど、あの日以来、今日までずっと、娘は暴れなくなった。

づつく
抑うつ症状になった話2
診断書には「抑うつ」とありました。

だせー。それが私の最初の印象でした。
抑うつってなんだよ…まだ、甲状腺の病気の方が、休みやすいよ…。なんなんだよ…。

鬱とか抑うつとかに理解がないわけじゃないんですが、回りがそれを許さないだろうなと、まず保身に気持ちが向かいましたね…。
カッコ悪…復帰したら、どうなるんだろう?
なんて言われるんだろう…

自分ではどうしようもないくらいに心が疲れていたので、休むしか選択肢がないのも分かってました。でも、でも…すごくすごく、プライドが邪魔していました。

それからお休みを頂いている間は、一ヶ月くらい、パパ(旦那)にそのことを言えませんでした。仕事も行ってるふりをしてました。
パパが怖かったんです。
パパに怒られる、パパを失望させる、パパに見放される…そんなことばっかり考えて、言えなかったんです。パパに心の病気に理解があるとは決して思えなかったです。
(結局、カミングアウトは喧嘩ついでのものになりました。)

そんなわけで、2019年1月から2月はほぼ丸々お休みを頂いてました。
抑うつ症状になった話
実は、去年の今頃(2018年後半)、私は体調を崩しました。
その事について記録しておこうと思います。


バリバリに保育園で、働いていたのですが、2018年の夏ごろに自分の体調に違和感を感じ始めました。ただそのときはまだ仕事に支障の出るほどではなく、市販薬を飲む程度でした。
今考えると、たとえ体調が悪くなったとしても仕事を休める状態ではなかったです。娘が熱を出した時でさえ、自分からは休むとは言えず娘を一人家に置いてきたくらいです。
そのくらい、職場に人が少なかったです。少ないのに、園の行事だらけで、アップアップしていました。

なんとか運動会は乗り切りましたが、12月になると朝、ことさら日曜日の夜や月曜日の朝に、心臓が痛くなったり、仕事中に耳鳴りがしました。帰宅中には喉がつまったり過呼吸になることが増えました。
その時は、家族にも言えませんでした。
日ごとに体調が悪くなる一方なのに病院に行く時間も取れず、対策もわからず、それでようやく、園長先生に相談しました。
その時は、「このような状態なので、いつみんなに迷惑をかけることになるかわからない」と話しました。
一番状態が悪かったのは2018年の12月の職員会議で、座っているのも、歩くことも、かなり辛かったです。その時は、胸と、頭と、耳が痛かったです。

その時は、間もなくやってくるお正月のお休みで、治ると思ってました。現にお休み中は一度も不調を感じず、治った、良かった、と思いました。
初出勤の日も、年末よりも良くなったと思いました。

問題はその夜です。
体調が悪くなったのと同じくらい、言い表せない不安感に襲われました。こんなに辛いことが毎日続くなんて耐えられない、死にたい、死のうと思いました。

次の日、とうとう出勤できませんでした。
本当は出勤したかったです。心では行こう行こうと思っているのに起き上がれない、起き上がってから次の行動まで、心臓のバクバクがおさまらない。支度するだけでかなりの時間を要し、もう時間がない、行かなきゃと玄関先でまた胸が痛む、座る、立てない、となってしまいました。

病院に行き、症状と既往歴から甲状腺の検査など行いましたが、いずれも病的と言える範囲ではなく、疲れでしょうとのことでした。

まず休むようにと言われ診断書を出されましたが、発表会を理由に断りました。でも、結局その週は、仕事ができる状態ではありませんでした。
次の週、診察するとまた休むように言われました。今のあなたは全く判断力が働いていない状態だ、休めば戻れるかもしれないところにいるのに休もうとしなかった、今は自分で何も判断するな、と言うことを強く言われました。

前週の時点ではせめて発表会のあとにと思っていたのですが、その日は「でも」と反論する気力もなく、言われるまま…そうしろと言われるままに!医者の言葉を受け入れました。
情けなくて、恥ずかしくて、たくさん泣きました。

続く
ブログを手紙にする。
なんとか一年に一度は投稿出来てるんだな。笑

ブログ、消そうかな…なんて思って久しぶりにアクセスしたら、娘との思い出や、毎日毎日どうしようもないくらいにいっぱいいっぱいで過ごしていたことなどを振り返ることができて、涙。
それで、ある考えがよぎって、実行しようと思いました。

それは、娘が成人したら…いや、結婚したら…もしくは妊娠したら(って、ほぼ未定じゃん)、このブログを教えてあげるってこと。
どれほどまでに私が娘に会いたくて生んで、どれだけ苦しくて好きだったかを伝えてあげたいなって急に思ったのです。

まだまだ長い道のりですが、一年に一回はアップしたい(低い目標だけど)。
娘の事ばかりじゃないかもしれないけど。
愚痴るかも知んないけど。

大好きだよ。生まれてから死ぬまでずっと。
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プロフィール
HN:
nawo
HP:
性別:
女性
職業:
主婦
自己紹介:
保育士で、一児のママ。

妊娠発覚2011年4月から記録です。
切迫早産から入院→2011年12月、二時間半の超安産。
子育て中に保育士試験を受験して、保育園で働いてます。
妊娠中の記録と育児の記録、仕事の記録。

娘が人の親になる時に渡すつもりの壮大なラブレターです。

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