娘の妊娠が発覚してからの記録
抑うつ症状になった話
実は、去年の今頃(2018年後半)、私は体調を崩しました。
その事について記録しておこうと思います。
バリバリに保育園で、働いていたのですが、2018年の夏ごろに自分の体調に違和感を感じ始めました。ただそのときはまだ仕事に支障の出るほどではなく、市販薬を飲む程度でした。
今考えると、たとえ体調が悪くなったとしても仕事を休める状態ではなかったです。娘が熱を出した時でさえ、自分からは休むとは言えず娘を一人家に置いてきたくらいです。
そのくらい、職場に人が少なかったです。少ないのに、園の行事だらけで、アップアップしていました。
なんとか運動会は乗り切りましたが、12月になると朝、ことさら日曜日の夜や月曜日の朝に、心臓が痛くなったり、仕事中に耳鳴りがしました。帰宅中には喉がつまったり過呼吸になることが増えました。
その時は、家族にも言えませんでした。
日ごとに体調が悪くなる一方なのに病院に行く時間も取れず、対策もわからず、それでようやく、園長先生に相談しました。
その時は、「このような状態なので、いつみんなに迷惑をかけることになるかわからない」と話しました。
一番状態が悪かったのは2018年の12月の職員会議で、座っているのも、歩くことも、かなり辛かったです。その時は、胸と、頭と、耳が痛かったです。
その時は、間もなくやってくるお正月のお休みで、治ると思ってました。現にお休み中は一度も不調を感じず、治った、良かった、と思いました。
初出勤の日も、年末よりも良くなったと思いました。
問題はその夜です。
体調が悪くなったのと同じくらい、言い表せない不安感に襲われました。こんなに辛いことが毎日続くなんて耐えられない、死にたい、死のうと思いました。
次の日、とうとう出勤できませんでした。
本当は出勤したかったです。心では行こう行こうと思っているのに起き上がれない、起き上がってから次の行動まで、心臓のバクバクがおさまらない。支度するだけでかなりの時間を要し、もう時間がない、行かなきゃと玄関先でまた胸が痛む、座る、立てない、となってしまいました。
病院に行き、症状と既往歴から甲状腺の検査など行いましたが、いずれも病的と言える範囲ではなく、疲れでしょうとのことでした。
まず休むようにと言われ診断書を出されましたが、発表会を理由に断りました。でも、結局その週は、仕事ができる状態ではありませんでした。
次の週、診察するとまた休むように言われました。今のあなたは全く判断力が働いていない状態だ、休めば戻れるかもしれないところにいるのに休もうとしなかった、今は自分で何も判断するな、と言うことを強く言われました。
前週の時点ではせめて発表会のあとにと思っていたのですが、その日は「でも」と反論する気力もなく、言われるまま…そうしろと言われるままに!医者の言葉を受け入れました。
情けなくて、恥ずかしくて、たくさん泣きました。
続く
その事について記録しておこうと思います。
バリバリに保育園で、働いていたのですが、2018年の夏ごろに自分の体調に違和感を感じ始めました。ただそのときはまだ仕事に支障の出るほどではなく、市販薬を飲む程度でした。
今考えると、たとえ体調が悪くなったとしても仕事を休める状態ではなかったです。娘が熱を出した時でさえ、自分からは休むとは言えず娘を一人家に置いてきたくらいです。
そのくらい、職場に人が少なかったです。少ないのに、園の行事だらけで、アップアップしていました。
なんとか運動会は乗り切りましたが、12月になると朝、ことさら日曜日の夜や月曜日の朝に、心臓が痛くなったり、仕事中に耳鳴りがしました。帰宅中には喉がつまったり過呼吸になることが増えました。
その時は、家族にも言えませんでした。
日ごとに体調が悪くなる一方なのに病院に行く時間も取れず、対策もわからず、それでようやく、園長先生に相談しました。
その時は、「このような状態なので、いつみんなに迷惑をかけることになるかわからない」と話しました。
一番状態が悪かったのは2018年の12月の職員会議で、座っているのも、歩くことも、かなり辛かったです。その時は、胸と、頭と、耳が痛かったです。
その時は、間もなくやってくるお正月のお休みで、治ると思ってました。現にお休み中は一度も不調を感じず、治った、良かった、と思いました。
初出勤の日も、年末よりも良くなったと思いました。
問題はその夜です。
体調が悪くなったのと同じくらい、言い表せない不安感に襲われました。こんなに辛いことが毎日続くなんて耐えられない、死にたい、死のうと思いました。
次の日、とうとう出勤できませんでした。
本当は出勤したかったです。心では行こう行こうと思っているのに起き上がれない、起き上がってから次の行動まで、心臓のバクバクがおさまらない。支度するだけでかなりの時間を要し、もう時間がない、行かなきゃと玄関先でまた胸が痛む、座る、立てない、となってしまいました。
病院に行き、症状と既往歴から甲状腺の検査など行いましたが、いずれも病的と言える範囲ではなく、疲れでしょうとのことでした。
まず休むようにと言われ診断書を出されましたが、発表会を理由に断りました。でも、結局その週は、仕事ができる状態ではありませんでした。
次の週、診察するとまた休むように言われました。今のあなたは全く判断力が働いていない状態だ、休めば戻れるかもしれないところにいるのに休もうとしなかった、今は自分で何も判断するな、と言うことを強く言われました。
前週の時点ではせめて発表会のあとにと思っていたのですが、その日は「でも」と反論する気力もなく、言われるまま…そうしろと言われるままに!医者の言葉を受け入れました。
情けなくて、恥ずかしくて、たくさん泣きました。
続く
プロフィール
HN:
nawo
HP:
性別:
女性
職業:
主婦
自己紹介:
保育士で、一児のママ。
妊娠発覚2011年4月から記録です。
切迫早産から入院→2011年12月、二時間半の超安産。
子育て中に保育士試験を受験して、保育園で働いてます。
妊娠中の記録と育児の記録、仕事の記録。
娘が人の親になる時に渡すつもりの壮大なラブレターです。
nawo
妊娠発覚2011年4月から記録です。
切迫早産から入院→2011年12月、二時間半の超安産。
子育て中に保育士試験を受験して、保育園で働いてます。
妊娠中の記録と育児の記録、仕事の記録。
娘が人の親になる時に渡すつもりの壮大なラブレターです。
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