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娘の妊娠が発覚してからの記録
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切迫早産の入院生活18
35週6日。入院21日目。あとうまくいって一週間…。看護師さん、お医者さんみんなして「もうちょっとだね!」って励ましてくれるけど。ゴールが見えてるとはいえ、長い(;А;)
この間の、3日ぽっちのフライング退院は、状態を悪化させる結果に終わったけれど3日だけでも戻れて良かったと私は思う。
ぶっ続けで1ヶ月入院するのはやっぱり大変だったと思うし。

昨日、お義母さんがいらっしゃり、本当に気疲れした。今、体が本当にボロくて、不甲斐なさに落ち込んでいて、会いたい人と会いたくない人がいて、お義母さんは会いたくない人で、だけど来てくださることには感謝しなきゃいけないんだ、嫁としてやらなきゃいけないつとめなんだ…って思った。そして疲れた次第。
ちょっとした会話も、一日一日不安に耐えながら過ごす自分にはプレッシャーだった。

旦那さんがそれを知って、お義母さんに電話してくれてた。
「助けが必要ならこちらからちゃんとお願いするから頼んだとき以外は見舞いには行かないで。家のことをああしたらこうしたらと言わないで」など、この時期、私に対し何かしら意見を言うのはやめて欲しい、と要約するとそんなことを伝えてくれたみたい。

お義母さんの反応はどうだったかはわからないけど、今までの私の反応が実は「NO」や「拒否」であったことは少しはわかってもらえたのかなぁと思う。

お産が近づいて、最近はかなり気分がしんどかったから、旦那さんが初めてちゃんと言ってくれたのはありがたかった(;ω;)

今日もがんばる。特にすることはないけど。
そういえば膀こう炎良くなったみたい。
切迫早産の入院生活17
35週5日。入院20日目。
地元の友人が午後に会いに来てくれる。テンション上がる。イエイ!
そしてその前にお義母さんがやってくる。テンション下がる。笑。
連絡はついさっきだったし(旦那さん経由だと断られると思ってか、直接メールがきた)有無を言わさず今日来るみたいなので、もう観念しました。何話せばいいんだろうと思いながら念入りに歯を磨いた。
正直、嫌だなあ。



なんか今朝オリモノが多いです。お産が近づくと多くなるって…。普段あまり意識してなかったけど、タンみたいなオリモノがいっぱい出てきて、タンみたいだから破水ではないんだけど、一瞬怖くなった…。
そして回診では「子宮頚管長、厳しいね、内子宮口も開いてるしね、点滴抜いたら、すぐ生まれちゃうくらいよ、最後まで病院に居た方がいいね」と言われた。言われるまでもなく、居座る決意はとうに固まっている私。

昨日シャワーを浴びたとき、体力と筋力がとてつもなく低下していると感じた。
今朝のトイレも、食事も、寝返りも、何もかも。力を入れられなくて愕然とした。自分じゃないみたい。

一日経つごとに、か細くなっていく気力…
ががんばるぞお…
切迫早産の入院生活16
35週4日。入院19日目。

今日はイベントがいくつかある。

一つは、久しぶりにシャワーを浴びられること!本当は湯船に浸かりたいけど…。髪の毛を洗えるだけ良いか。
当たり前のことが出来ない今では、シャワーは私にとって一大イベントになりました。前日からシャワーグッズの準備をしてしまうくらい。
同時にパジャマを替えるチャンスでもあり(点滴に繋がっていると着替えが出来ないので)、きれいなパジャマを広げてみたり。

二つ目のイベントは両親の面会。

三つ目のイベントは、お隣さんの退院。
その人は37週に入り、早産期を卒業。点滴も抜いていた。
旦那さんと3歳くらいの娘さんが頻繁に面会に来てて、子どもが若干うるさかったけど、旦那さんがいっぱい会いに来てくれていいなあ、って思ってた。
その人の退院で、4人部屋に私一人となる。それが何よりもうれしい。気を遣わなくて済む。


昨日は旦那さんが午前中と夕方の2回来てくれたのだけど、ずっと体調がすぐれなかった。弱気になっているのかも。
切迫早産の入院生活15
35週3日。入院18日目。
体がとてもしんどい。
切迫早産の入院生活14
35週2日。入院17日目。

隣人に遠慮して夜間のトイレを我慢したら膀こう炎なった。排尿の痛みが強いためにトイレに行くのが怖く、行っても痛みにビビって尿が出なくなるという悪循環。強い残尿感あり。
夜間は尿意と胎動で不眠。

夜間頻尿の対策として、点滴のアンプル量と流量を調節してもらう。
「薄い薬をドンドン入れる」のを「濃い薬をゆっくり入れる」に変え、実質内容は変わらないが、体に入る水分を減らす。
→2A30(2アンプル30ml/h)を3A20に。


入院自体には慣れたが、体調が良くなることはまずない。
妊娠後期にこれほど有意義じゃない日々を送ることになるとは思ってもいなかった。
見舞いに来た兄が寝たままの私に対し「(食事も出るし、仕事しなくて良いし、ゲームも出来て、本を読めて)入院生活最高だね。」と言ったときの怒りは忘れられない。
定期検診8
35週0日。入院15日目での検診。

BPD(頭)=88.1mm
FTA(腹)=66.5c㎡
FL(大腿骨)=63.8mm
EFW(推定体重)=2353g
子宮脛管=12mm
内子宮口、更に開大

胎児…平均的な成長。生まれて生きていけるライン越える。
私…早産傾向悪化。正期産までの入院がほぼ確実となる。
切迫早産の入院生活13
34週5日。胸が痛い。顔面が痛い。手ふるえるたべもの落とす
赤ちゃん元気
あさってなにかの検査
しあさって母、父、兄くる
切迫早産の入院生活12
34週4日。頻繁に張るようになり、張った時間をメモしたら弱い張りが30分に8回(60分に6回以上張るのは赤信号と言われている)。
深夜外来で診察を受けたら頚管長14mm(以前入院したとき20mm。短いほど悪い。)。
この短さで張り続けると子宮口が開いて陣痛になる可能性うんぬんで再入院。
言い付けられた期間は2週間。点滴の強さは前回の3倍。「動悸や震えは覚悟しておいてね」と。
前回と同じベッドでの入院生活が始まりました。

やはり投薬に慣れるまで体がキツい。
でもさすが、張りは治まってきた。
何にせよ最優先させるべきは赤ちゃん。お母さんは頑張って耐えます。
応援よろしく…
自宅安静
34週1日。自宅にて安静中。
先生は「元気だったら多少動いていいよ」と言いましたが、無理でした。
点滴を抜いて一日経ち、身体中にズドンと腹部の張りがのしかかってきました。張り返しと言うらしいです。入院中、元気でいられたのは悪魔でも点滴のおかげだったようです。料理なんてとてもできそうにありません。
薬は点滴よりずっと弱く、一日4錠まで。もっと飲みたいです。

それでも家の布団に寝ていられることは幸せで、トイレに不自由なく行けることも幸せです。


昨日母が撮った写真。

切迫早産の入院生活11
34週0日。入院11日目にて退院。
今日の天気は自分の心のよう。スカっとしています。今朝はクロワッサンだったので余計にハッピー。
食後、点滴はそのままで、同じ成分の錠剤を飲みました。
もう退院は決まったので(結局、後追いで内診することになった)、部屋の片付けをしました。

看護師さんが、昨日のバースプランの補足をしに来ました。そしたら昨日の助産師さんとは言ってることが若干違うような気がしました。アレレ。
が、もうどっちでも、病院側に任せるほかないって思うから、はっきりいってバースプランなんてどうだってよくなってます。

それで、良く言えばスピーディーな、悪く言えばヤッツケの内診をされ、点滴を抜いて、母が迎えに来るまで病室でゴロゴロしている次第です。お昼御飯も出るそうです。

例によって今度は右腕がポパイみたく膨れて痛いですが、しばらく我慢です。(看護師さんに、どっちみち腕が限界だったねと言われました。)
点滴の管がない分、寝返りが自由に打てて嬉しいです。

これからどの程度安静にすべきか聞いたら、
「そんな厳密に安静にしなくて良い。買い物も料理もして良いし、風呂もOK。体調が良ければ散歩だっていい。寝たきりである必要はないから、いつもよりのんびり、休み休み過ごしてください。薬は飲み続けて下さい」と。
それってほぼ私のいつも通り。なんだか気が抜けちゃいました。今までの制限は、なんだったんだろう。
作品に対しての講評会で、ある先生には良いと言われ、ある先生にはダメと言われ、結局どうすりゃいいのと混乱した専門時代を思い出しました。
どこの世界も同じですかね。
この一週間で、結構まとめて本を読めたのは良かったです。家に居たら間違いなく読まなかっただろうから。差し入れてくれた友人には感謝でいっぱい。


今日から34週に入ったので、あと3週無理せず頑張らず過ごし、37週に入ったらいつ生まれてもいい時期です。
あと、3週間…。
頑張るぞ…もとい、頑張らないぞー!
切迫早産の入院生活10
33週6日。入院10日目。
今日は朝から晩まで体がしんどかった。
お腹が重くてどんな体勢を取っても10分我慢できない。よって眠れない。
今日に限ってなのか、明日からもずっとなのか…。
一昨日測った赤ちゃんの推定体重は2,135g。まあ普通の成長状態。羊水とか胎盤とか含めて、まあ3kg超えかなってさ。
今はまだドンドン動くし、最後の詰めの段階だから、今から出産までラクになることはもうないよ、と言われた。
確かに日に日に体が悲鳴を上げてます。
背中、肩、首はもう凝りが痛くてパッパラピー。
腕は針で腫れてるし、肋骨は悲鳴も出るほどの「折れる痛み」。オマタにキュッと力を入れないとおしっこが出てしまいそうだし、下剤で腸は常に痛いけど飲まなきゃいけない。
心臓の苦しさ。呼吸の苦しさ。鼻づまり、鼻血。←妊娠すると鼻血出やすいらしい。
もう無理ですって弱音吐きたくもなる。出産まで治すのは無理ですって言われた…チーン。ですよね。

同時に産前ウツとやらも進行中。すべてにイライラ。みんなにムカつく。過去を思い出して腹立ったりと超不毛…。旦那さんが心配して何度もメールくれるけど返信ができない。メールじゃなくて会いに来てよって思う。

こんな状態で果たして退院してやっていけるのか不安です。今さらだけど…。

それで、退院前の内診は今日ではなくて明日に変更。
変わりに、バースプランの擦り合わせのために助産師さんが部屋に来た。
思っていたよりも、自分の希望する生み方が出来ないことを知った。
ちゃんと病院の分娩入院の詳細には目を通していたけど。「こちら(病院側)の言葉が足りなかったのね」の一点張りで、なんだか騙された気分になった。だからってもう転院する元気も時間もないし。ごねてもプラスにはならないから特に文句つけたりはしない。
最終学歴を書く欄があるのは世界保健機構のお達しで統計を取るためらしい。

なんだかバースプランの話をするタイミングが私のウツウツのピークだったからか、全然わくわくしないし楽しみじゃないし、
なんでこんなにツラい10ヶ月を過ごしてこんな痛い点滴打ってハアハアしながら監禁されて、最後はオマタちょんぎって生まなきゃいけないのかとか思った。(10ヶ月丸々ずっとツラかったわけではないが、ほぼツラかったと思う、ブルーな私。)
生むのが怖い。
マジで怖いよ。
お母さんになるって怖い。人間つくるって痛い。

明日はおそらく退院できるから、母が迎えにくる時までにはケロっと持ち直して元気でいたい。


点滴の残量を見るに、朝方4:00にピーピーなるだろうな、と今からゲンナリ…w
ガンバレワタシ、マケルナワタシ!
切迫早産の入院生活9
33週5日。入院9日目。
昨晩は思春期の中学生のようにおいおいと泣いてしまいました。
というのもお義母さんから「明日(つまり今日)行くから」とメールで宣言されたのです。
入院当日に旦那さんからお義母さんには「入院中はお見舞いにいかなくていいから」と伝えてもらったのですが、退院が早まると聞いてお義母さんも「嫁が入院してるのだから一度は行かなければ!」と焦ってメールをしてきたようでした。

旦那さんが「ナオが気を遣ってゆっくり休めないからナオを思うなら頼むから見舞いには行かないでやってくれ」くらい言ってくれればいいものを…と思いました。行くなと言われても来ようとする義母、強く言わない旦那さんに若干イラつく嫁。典型的なパターンでしょうか…。

何が嫌って、お義母さんに会う前日は絶対に不眠になるし、当日も気を遣い過ぎて本当にぐったりしてしまうのです。
せっかく退院間近で最終的な検査を控えているのに余計な体力使わせないでくれ、と思ってしまうのです。
わかってくれ、同じ母なら!と思ってしまうのです。

でも直に「明日行きます」とメールで来て、まさか「お義母さんが来るとしんどいし検査結果が悪くなる気がするので来ないでください」という内容のメールなど返せませんし、どう丁寧に伝えても「来るんじゃねーよ」と言う印象になってしまうのです。
困り果てて(この時点でかなり疲れた)、旦那さんにメールで「明日、お義母さんが来るとメールが来たんだけど…」と言えば「イヤだったら断っていいから」と返事が来て、
だから!それが出来たら苦労しないし、そこをどうにかうまいことやるのが夫のつとめでしょうが!
とイライラしてうっかり泣いてしまったのです。

念のために言いますが、決してお義母さんを嫌いなわけではありません。お世話になっているし、旦那さんを生んでくださった恩と言うのも感じます。
そして、赤ちゃんのおばあちゃんになる人。切っても切れない親戚。
しかし現在の状況では、私にそこを重んじる余裕がないのです。ぶっちゃけると、気を許していない人間にああだのこうだの、何にせよ構われるのが鬱陶しい状況です。


話を戻しまして、メールで断るのはあまりにも忍びなく、申し訳ないので、電話をすることにしました。
電話でお義母さんは「行くと言っても、ほんのチョットだけ。チョット行って帰るから」と言いました。チョットだけなら、遠いとこからわざわざ来られたらますます気を遣うよと思いました。長居されても困るけど。
私は「退院できるかどうかの検査がいくつかあって、いつ病室に戻るかわからない」という意味の、嘘でも本当でもないことを申し上げました。それでも来るなら一日病室に居ないようにどっかに隠れてしまえ、くらいに思いました。
そして「もう退院なので、大丈夫ですよ」と言うようなことを慎重に申し上げました。
言いながら「この人は私と赤ちゃんの心配をして会いたいと言ってくれているのに(しかも授乳着まで買ったらしい)、私はなんて心が狭いのだろう」と良心がしくしくと傷みました。
でも今は背に腹は変えられないと言うか、「だって会いたくないもんは会いたくないんだもん。会いに来たいのはそっちの勝手でしょ、私は是が非でも会いたくないの!自分のポンコツ子宮を責められてるような気分になるの!」という気持ちが何より一番強いので仕方がないのです。

結局探り合いのやり取りの後、「退院までバタバタしてそうだから今回はお見舞いはやめる」というところに落ち着きました。
電話を切って、非常に胃の辺りが苦しく感じ、部屋に戻り横になりました。
電話は辛かったけれど、明日はとりあえず緊張しなくて済むので安堵しました。
そんなこんなで、お義母さんへのニガテ度がアップしているような気がしてたまらない私でありました。
切迫早産の入院生活8
33週4日。入院8日目。
血液検査をして、肝臓の機能チェック。薬を分解するのは肝臓なので、継続して投薬する場合は定期的に肝機能をチェックするのです。慣れてる看護師さんでホッとしました。


さて、退院できたとしても37週までは自宅安静で過ごさなければならないので、今のうちに調べたいことを潰していこうと、市役所に電話をしました。

問合せ内容を平たく言うと
●高額医療費申請のことをゼロから教えて。
●子どもが生まれてから申請するもの、申請の仕方を教えて。

と言う内容で、何の書類が必要か、どの課に行けば良いか、などまさしくゼロから電話で教えてもらいました。

高額医療費申請と言うのは、入院して一定額以上医療費がかかると、健康保険が適用される部分が帰ってくるというもの。
特に何もしなくても、退院から3ヶ月後に通知が届くからそれを見て申請するらしいです。

一方、子どもが生まれてから申請すべきことは、結構いっぱいありました。

●市民課
・出生届を提出し子どもの住民票をつくる

●国民健康保険課
・子どもの保険証をつくる(後日郵送で送られる)

●保険年金課
・出産一時金の申請

●子育て支援課
・子ども手当の申請
・子どもの医療費助成の医療証発行手続き

●ごみ対策課
・おむつを棄てる袋をもらう

まあこんな感じです。何度も役所に行くのは旦那さんもしんどいだろうから、持ち物などもまとめて調べておきました。
旦那さんに任せるのが少し不安な私です。ガンバレお父さんっ

そして今日は、今回の入院で下りる医療保険の書類を、保険屋さん(友人)に持ってきてもらい、必要なことを聞きました。そしてケーキを食べちゃった。しあわせ。おしゃべりもできました。

ぶっちゃけ医療保険金は、入院すればするほど儲けになります。入院し続けてしまうことも今の段階では可能なので、その作戦を考えなかったわけではないけれど、
なにぶん、私の精神が折れるのが早く、入院継続はムリでした。一瞬でも早く外に出たい。
この生活、キツいです。夜中にはモンモンとこれからの見えない不安がよぎり、マタニティブルーが再加熱。
子どもは…
子育ては…
旦那さんは…
私の仕事は…
モンモン。
精神異常を起こしそうです。「人は監禁されて何日目に精神疾患を起こすか」という危険な実験を彷彿とさせました。ものの例えですが。

しかしながら退院後の見通しは立ってはおらず、実際はただのお荷物妊婦。
洗濯や掃除はしなくても死なないけれど、ごはん作ってくれる人が居ないし、自分の栄養摂取に不安があります。旦那さんには外食するなり自分でどうにかしてもらいますが、私のために毎日料理するほど余裕はないでしょうし。
ホントにお荷物妊婦ですよね…。トホホ…。
多分、正解はなるべく長く入院することなんです。でも私にとって病院はホントにまくらを濡らす場所でしかないので…帰りたいのです。
なんなんでしょうか、これはマタニティブルーと言っていいのか、ただのよくある波なのでしょうか。
妙に夜は悲観的で、自分で自分の首をしめてる感じ。ちょっぴり苦しいです。
そんな夜。
切迫早産の入院生活7
33週3日。入院7日目。

●昨夜遅く。
点滴を打つ左の腕がパンパンに腫れて真っ赤になって、今まで我慢していたけど我慢もできなくなった。1ミリでも動かしたら悲鳴が出そうだった。
若い看護師が見に来て、少し考えたあと、針を換えましょうかと言った。
その看護師、準備してくると言って戻ってきては、あれを忘れたこれを忘れたと何度もナースステーションと病室をバタバタ往復していて、私はこいつに針を任せて大丈夫かと、一抹の不安を覚えた。

左の針を抜くとやはり腫れていて、針がなくなってもかなり痛む。
「普通、もっと長い間、針は変えないものですか?」と聞いたら、
「いや、一週間もてばかなり優秀」と言われた、6日目の夜…。そりゃ痛いよね。

左の腕は使い物にはならないので、右の腕の血管に射すことになった。血管を探しながら看護師は、ウーンとか、え~ととか呟いて、言い訳のように「血管細いのね~」って言っていた。
自信ないなら他の人呼ぶか、最悪明日まで我慢するから失敗だけはごめんだと思って心臓がバクバクした。

結局その看護師が針を入れたんだけど、もう見ていられなかった。血が溢れて私の食事のテーブルが赤く染まった、とだけ言っておきます(-_-;)
どうにかこうにか管が入り痛みもまあ左よりはマシで、左は血管炎症なので夜のうちはずっと痛かったけど、今はある程度大丈夫。


●今朝の回診。
初めてのドクター。
私の場合、子宮けいかんが短いand胎児の下がり具合が決め手で入院したのだが、あまり危険な張りはないので退院する?したい?と唐突に聞かれる。
へ?いいんですか?
今までの医者は皆さん保守的な見解でしたけど。

そして処置室と言う部屋で割とショッキングな内診を受ける。
目隠しカーテンがなく目の前で医者が膣にいろいろ突っ込みながら顔を見て話す。めちゃくちゃ痛いし。看護師も何人か見てるのが見える。お腹もたくしあげアバラから下はスッポンポンの状態でエコー。
まあ、いいんだけど。

そして、また金曜に内診して、良いと判断したら土曜に退院です。と言われた。
点滴を外して内服のみで入院すると保険が効かないので、点滴は退院まで継続することになった。
今まで、「いつ針を取り替える」「いつからシャワーを浴びられる」「いつ退院できる」「私が今どのくらいヤバイか」など、誰一人、教えてくれる人が居なかったから、本当にまいっていたんだけど、突然に明確になって、気力が湧いてきた。
シャワー浴びたいなら今日も浴びていいよ。などと、一気にいろいろ許可されて逆にビビった。


●旦那さんが枕とかタオルとか持ってきてくれた。
ごはんも一緒に病室で食べた。病院と同じくらい安静にし、薬の内服をすることを条件に退院できる(かもしれない)ことを話したら喜んでくれた。
ケーキを買ってきてくれたので一緒に食べた。し…幸せ…。
赤ちゃん雑誌の通販ページを一緒に見たりした。面会時間ギリギリまでいてくれて嬉しかった。
おうち帰れるといいな。
切迫早産の入院生活6
33週2日。入院6日目。

●夜になると胎動がピークになる。と同時に張りが強くなる。
昨晩はもう自分のお腹がどうにかなってしまうかと思った。赤ちゃんに、どうか落ち着いてと頼んだ。
入院してから何度も「張りが強くなったら、すぐにコールしなさい」と言われていた。でも点滴を強くされるのが怖くて(強まると心臓が痛い)ナースコールをするのを躊躇する。
胎動なのか張りなのか尿意なのか便意なのかもわからなくなる。
陣痛なんて経験したことがないから「これまさか陣痛じゃないよね?」とか心配した。
結局迷っているうちに眠ってしまったらしい。

●朝食が配膳される。もう、この病院の食事が美味しいかどうかはあまり関心がない。食欲はほとんどないけど自分のためじゃなくて赤ちゃんのためだけに押し込む。とにかく、赤ちゃんを成長させなければ。
一回目の妊婦学級で、栄養士が「妊娠すると運動量が減るので、炭水化物はそれほど摂らなくて良い。ビタミン、鉄分、カルシウムをたくさん摂るように」と言ってたのを思い出し、ごはんは残した。代わりに副菜はちゃんと平らげた。それでもお腹いっぱいで苦しかった。
頭の中に一つ浮かんだ。「あー甘いもの食べたい」って。横になったらそのまま眠ってしまったみたい。夜あまり眠れなかったからかもしれない。

●気が付いたら回診の先生が来てた。苦手な先生だった。張るのは、同じ姿勢でいるからと、赤ちゃんがまた一段成長して子宮が伸びるときに張る。ある程度は生理現象で、大丈夫でしょう、と言っていた。私の点滴の強さを見て、「この位の点滴で済んでるから、あとは、耐えるだけですね」と言った。
ウテメリン増やしましょう、と言われなくて本当にほっとした。針を射している腕が腫れて赤く、中が炎症してきたけど、もう訴える元気はなかった。

●部屋には冷蔵庫はあるがポットがない。暖かい飲み物が飲みたくなったので、カフェテリア(と言う名の食堂)のドリンクバー(入院患者無料)で、自分のタンブラーにお湯を入れさせてもらい、部屋に戻ってハーブティを飲んだ。
本当はあの場で飲みたいけど、4Fと7Fをエレベータで往復するごときでも結構赤ちゃんがズンズン出口を刺激する。たまになら座るとラクだけど、座りっぱなしだとみるみるお腹が張ってくる。
もう母が面会に来ても一緒にカフェテリアにはいけないかもしれないと思った。

ここに来てから、具合が悪くなった。
入院したせいで具合が悪化したのか、あのまま自宅にいたらもっと悪化したのかは謎。私としては、入院が諸悪の根元くらいに思ってしまう。
だけど確実に、入院したせいで情緒は以前よりボロボロになったと思う。

今日は特にイベントもなかったが本を読んでいたらあっという間だった。

早くおうちに帰りたい。
って思ったり言ったり書いたりするだけでおうちに帰りたい気持ちが溢れて泣けてくる。
早くおうちに帰りたい。
切迫早産の入院生活5
33週1日。入院5日目。

●今日はちょっとしたイベントがありました。
左の人(うるさい方)が部屋を移動したのです。明日手術なので、分娩入院に切り替えで個室に移動しました。
移動後、掃除係の手によって綺麗に掃除され、新しいシーツをかけられたベッド。カーテンも開け放たれました。
そこを見たら、大きな窓があって、曇りでも日が射し込み明るいのです。

私のベッドは部屋の洗面所側で、カーテンを閉めると、昼でもライトなしでは暗いです。というか、昼と夜の区別がつかないです。

勇気を出して、そっちに移動するのは可能ですか…と控えめに言ってみました。
そしたらナースステーションに話をしてくれて、移動の許可がおりました。

シャワーに入りたい、針が痛い、で、今度はベッドの移動。厄介な患者だと思われたかもしれません。
それでも、暗い部屋に我慢してこもっているより幾分良かったです。

荷物の移動が終わって、ほっと一息。左の人が居なくなり非常に静かになりました。右の人の家族が面会に来て子どもが騒いでいたけど気になりませんでした。


●友人二人が面会に来てくれました。来てくれるだけで嬉しいのに、漫画をたくさんくれました。感謝です。話せて良かった。
ホント、時間があっという間です。


●こんなに旦那さんと離れたのは結婚以来初めてです。寂しくなってきました。とても恋しいです。私と仕事の板挟みの旦那さんも気の毒です。あまりわがままを言わないようにしてますが、母が面会に来てパンツの替えを買ってくれたとか話すと、さすがに旦那さんとしてはへこんだ様子でした。(母は往復2時間かけて物資を運んでくれるため。旦那さんは家から自転車で10分だけど仕事で面会時間に間に合わない。)
その代わりに忙しい合間に必ずメールをくれます。昨日は自分でつくった焼そばの写メールを送ってきて、可愛さに笑ってしまいました。
私は入院した日から、火曜日まで指折り数えています。
切迫早産の入院生活4
33週0日。入院4日目。

●朝イチでモニター(NST)を付けた。
※NST…ノンストレステスト。赤ちゃんにストレスを与えずに心音、陣痛(張り)、胎動がわかり、グラフになる。妊娠後期には何かと登場するマシン。

赤ちゃんは元気。いつもどおり。
「アラたまにちょっと張るわね」とおばさん看護師に突然言われたので「普通の妊婦さんよりも張ってますか」と聞いたら「いや大丈夫よ」って。なんじゃそりゃ。
一昨日やったNSTの時と似たような張り方だったし、その時は全然問題ないって言われたから、今日のも問題ないと思うけど…。どうなんだろ。


●ウテメリンの点滴のやっかいなところは、副作用の他に、血管を傷めやすいということ。
針周辺の血管が炎症を起こして痛い。
かといって針を何度も射し替えると最後は射すところがなくなり、血管が細く痛いところにしか射せなくなるんだって。
でも、なんとなく話を聞いてると、なるべく長く針を持たせたいのは看護師さんの都合のように思えてきた。
とにかく、あなたはまだ平気よと判断され、痛いまま。もっとひどくなったら皮膚の色でわかるからって言われた。私の血管が壊れるのを待つってことらしかった。


●気になっていたシャワーはいつ浴びれるかを聞いてみた。
「まだ早いよ~」とか「お腹の張り次第ね~」とか言われて、はっきり回答を得られなかった。NSTでは、張りはそんなにひどくなかったのに何故だめなんだろう?って思ったけど、ゴネないでおいた。

点滴のせいで汗だくで、髪は臭いしギトギト。おしぼりだけじゃいろんなところが痒いし、たまらない。
看護師さんが行ったあと、自分が汚くてみすぼらしくて涙が出てきた。


●点滴のことと、シャワーのこと。漠然と不満に感じていた。
今日たまたま、回診の担当が院長先生で、私のところに来たときに、シャワーはやはり無理なのかと聞いてみた。看護師に「どうしても?」って言われた。こんな生活でシャワー浴びたくない人なんていないよって思った。
院長先生に、張りも少ないし、サッとならシャワーして構わないよってアッサリ言われた。嬉しかった。

あと、徐々に痛くなる点滴の針が我慢出来ないことを相談したら、院長先生がテーピングを外して針の角度をちょっと変えてくれた。そしたら痛さが和らいだ。
院長先生が「こんなにガチガチにテープ貼ったら緊急時はがせなくなるからダメ」「針のここが皮膚に触れたら痛い」と言うようなことを看護師に注意していた。
院長先生は妊娠発覚時から指名してお世話になってるけど、今日ほど感謝した日はなかった。頼もしかった。


●昼食はスパゲッティ。おいしかったけど初めて残した。


●シャワーについての説明を受けた。
週2回のシャワーを許可された。同室の左の人は週1回なので贅沢は言えない。
まず24時間の点滴を一旦止め、血が固まらない薬を入れる。点滴針は外さず、管を腕に付け、ビニールを被せてテーピングする。
点滴を止めると張りはじめるので、なるべくシャワーは早く終わらせ、すぐに点滴を再開させる。

聞いていて、なるほどこれは看護師にとってめんどうだろうと思った。忙しい時にシャワー後の患者が来たら最優先させるわけだし。
仕事も増えるし、しなくて済むならしたくないだろうな。

でも私もそうは言っていられないので、すぐにシャワーを浴び、垢一つ残らないように洗った。気分が良くなった。ご機嫌なメールを旦那さんにしたら、とても喜んでいた。
看護師さんに「万が一破水したら、ベッドでおしっこする生活になる」と脅された。


●母が来てくれた。
パンツと小説何冊かを持ってきてくれた。
食事を一緒に摂った。昼ごはんを食べられなかったので完食した。
とても楽しかったので、時間があっという間だった。
切迫早産の入院生活3
32週6日。入院3日目。
赤ちゃんは元気に動きます。痛いくらい。頭が下の方にあるため毎度ドキッとしますが。
一方、私の元気は確実になくなってきております。3日目の朝にして一気に食欲がなくなりました。ポンコツ車であります。


●昨日、しょんぼりと、おしぼりで体を拭いていた時、汗だくパジャマを着替えたら気分も変わるかも!と思い立ち、せっせと準備。着替えようとして、右腕まで脱いで気が付きました。
点滴の針があると脱げない!管がマシンに繋がっているため脱げないのです。
ガビーン。消灯間近だったし、仕方ないので、着替えずにしょんぼり寝ました。

そして先程、介助してもらって着替えました。分娩後の入院で着るはずだった真新しい授乳パジャマ。前月母が買ってくれたものです。着てしまったよ。ぶかぶかだけど、気持ちいい。
そして汗だくパジャマと下着とタオルをランドリーで洗いました。

廊下の窓を見たら、今日は結構なお出かけ日和だこと!まるで別世界です。


●さてさて、部屋には私のほかに2人居まして、あいさつ以外話すこともないし、誰かがトイレ洗面を使っている時には顔を合わせまいと自然に時間をずらして行動しています。
なので、カーテン越しにお互いの聴覚がキリッとしてきます。

面白いのは、右の人と左の人とで、生活音の大きさが全然違うこと。

左の人……入院中に臨月を迎えたが逆子が治らず予定帝王切開になったので引き続き入院。点滴なし(うらやましい)。シャワーOK(超うらやましい)。おやつ食あり(超超うらやましい(笑))。
右の人……多分私と同じ切迫早産。私より週は上で、状態は私より切迫。

左の人は、夜中でも区画カーテンをジャッっと開け、ズンダズンダと歩き、トイレのドアをバタン!洗面の水道の水圧をマックスでジャアア!ズンダズンダ!ジャッ!ベッドに戻ってバタッ!
食事中も音が聴こえてきます。必ず食事を始めて中頃にトイレに行きます。モグモグ。ジャッ(カーテン)、ズンダズンダ(足音)、バタンッ(トイレ)、…、ジャアア(水道)!ズンダズンダ(足音)、ジャッ(カーテン)。…モグモグ。
毎回そうなら食べる前に行けよ。ほかの人食べてるんだから。
それ以外にもまあ生活音は基本的に荒い(笑)

一方、右の人は、居ないみたいに静か。点滴のコンセントをバッテリーに切り替える時ピピッという音がするくらいで、昼間カーテン開けるのも音が立たないようにゆっくりシュルル。抜き足差し足で歩き、ドアも静かに開閉、チョロ水で手を洗い、静かに戻る。

性格の違いが出るナア…と思いつつ、右の人を見習って生活しています。他人と同じ部屋にカーテン一枚のプライバシーで生活するんだから、静かにするのが気配りってものです。左の人はぶっちゃけどう考えてもうるさいから右の人はきっとストレスためてるだろうな。
私は新参者なので、ヒッソリ生きてます。左の人の生活音のうるささは、父親と大して変わりませんから今のところ大丈夫(笑)


●廊下の共有スペースで、旦那さんに電話をしました。
やっぱり、出勤前に顔出すのは時間的に無理みたい。先を越されて言われちゃった。仕事終わってからだと面会時間も終わっちゃってるし。
だから、その日に欲しいものとかは頼めないし、あんまり頼りにはならない…
水とか持ってきてくれた母には「こんなときくらい旦那さんにちゃんと甘えなさいよ。それが夫のつとめなんだから。」と言われちゃったわ。そんなこと言われてもねぇ。ダメなもんはダメです。行けないって言われたらハイ終了。
でも昼間でも仕事の合間に電話やメールができたりするのは自営業の良いところです。
早く火曜日にならないかな。昼間はゴルフだけど、夜は一緒に病室で付添食を食べるんだ。
切迫早産の入院生活2
32週5日。入院2日目。
私の浅い知識で説明するので、暇人のおしゃべり程度と思って下さい。


●点滴の話

人には交感神経(活動の神経)と副交感神経(休息の神経)があります。子宮の動きを司るのは副交感神経です。つまりリラックスすると子宮は動くのです。
(ただし、運動によっても内蔵は動くのですが)

生理痛は子宮収縮の痛みで、古い内膜を出す「良いこと」の副産物です。動いているとき生理痛は軽く、寝ていると生理痛は重く感じます。内膜を早く出すために、生理痛を引き起こして安静にさせる本能、とも言えなくないですね。

そして、リラックス=子宮収縮ですので昼より夜間の分娩が多いそうです。

さて、リラックスするほうがお産に良いとはわかっていただけたでしょうか。しかし切迫早産の場合、赤ちゃんを出してはいけないわけなので、逆の措置をとります。

副交感神経優位の状態から、交感神経優位にねじ曲げます。これが点滴の役割。
かつ、運動による収縮を防ぐため(また、重力で赤ちゃんを下げないため)に安静をとります。

無理矢理に交感神経(活動の神経)を優位にするので、体はどうなるかと言うと、息切れします。心臓がバックバックします。手が震えて、汗をかきます。これが点滴の副作用。
点滴をし初めてからの方が病気になったようです。
これが24時間。最低3週間。かなり、まいっています。夜になっても、馴れない環境と心臓の苦しさと不安感で眠れませんでした。
入院する方がトータルで母子に悪影響なんじゃないかと思うほどです。

点滴は、妊婦さんにはお馴染み(?)の張り止め「ウテメリン」をブドウ糖で薄めたもの。
ウテメリンの濃度と、点滴の早さで、だいたいの自分の切迫加減がわかりました。
私はウテメリン1A(多分一番薄い)で1時間に20ml落ちるようになってましたから、そんなに差し迫った状況ではなさそうです。
2Aで40(つまり私の4倍)の人も居るくらいですから。
ただ、効果抜群の点滴と看護師が言うように、効果がある分負担も大きい。私ですら苦しいですから4倍となると恐ろしい。
切迫早産の入院がツラいと言うのは、半分はこの事か…と思いました。(もう半分は暇なツラさ。)


●今朝の出来事

今朝は、検温してすぐ赤ちゃんの心音を測りました。お腹に機械を付けて、モニターに心拍数が出てきて、グラフがロール紙に印字され、ジーコジーコと出てきます。胎動を感じたらスイッチを押します。30~60分ほどかかるので、本を読みながらやりました。

赤ちゃんの調子は良く、お腹に張りもないので、良かったです。それだけが、救いです。
やっぱり、切迫してるのは、母体の私の調子が悪いからみたい。オマタの、赤ちゃんの出口がとても重いです。言われるまで、この重さが早産の兆候だなんて知らなかったです。通常の過程かと思っていました。どの程度なら普通で、どの程度で異常なのかなんて初めてでわかりっこないけれど。


●病院食の話

食事の味は、とても美味しいです。量もちょうどいいです。ただ、夜は間食したくなります。飴玉でも持ってくれば良かったな。
昨日の昼はカツ、夜は串焼き、今朝はトーストでした。スープや野菜もあっていつもより豪華。
でも朝食を摂りながら、食事って、「味」じゃないなと思いました。食事は「環境」だって思いました。
こんなに品数があって美味しいのに、旦那さんの横で食べるバナナ一本の方が豊かです。病院で一人で摂る食事は貧しい。
食事を摂る時にふとそんなことを思い、早く帰りたい、点滴を取りたい。喧嘩したっていいから、家に居たいと、二日目にして弱気になってしまいました。


●両親との面会

今日は祝日なので、父と母が面会に来てくれました。
水の要らないシャンプーなど、頼んでいたものを持ってきてくれました。
旦那さんは仕事の時は面会時間に間に合わないので、母たちが来てくれると言うので助かりました。
そしてお金を渡されました。これは予想外でびっくり&申し訳ない&本当にありがたや…
手持ちの現金は入院の保証金でスッカラカンだったし(おかげで飲み物も満足に買えず)、入院費用も一ヶ月近く居て一体いくらなんだ!?って感じだったから。

母は土曜日また顔を出してくれるようなので、楽しみが増えました。
二人は一時間ほどで帰っていきました。
相変わらず胸が苦しく、手が不恰好に震えますが、面会があっただけでかなり気持ちは元気になれました。
切迫早産の入院生活1
32週4日。今しがた、入院しました。
切迫早産での入院中の生活はどんなものかと言うと、4人部屋(現在3人)で子宮収縮を防ぐ点滴を24時間打ちつつ、週2回胎児の心音を録り、週1回採血で肝機能のチェック(点滴の副作用のため)。1日一度なくなった点滴を替え回診を受ける。毎朝検温、排泄の回数をカウントする。
シャワー、風呂は最初はダメ(体力使うため)でおしぼりで拭くだけ。トイレ、洗面共同。
食事は朝8時、昼12時、夜6時。消灯9時。テレビなし。病室から出てはいけない。基本寝たきり。

これを3週間。心が死んでしまうんじゃなかろうか。そしてすでに副作用で胸が苦しく、手が震えます。

昨日、旦那さんが雑誌と本を一冊ずつ買ってきてくれて胸がキュン。
先は長いから、早く読むと暇になっちゃうと思ったけどすでに読みたいです。
暇だからブログ更新が頻繁になるか、もしくはネタがなくてやらなくなるか。

あ~
心臓きつい
ほかのみんなはよく我慢してるよね…
定期検診7
32週3日。近況・体調:良くない。2時間ウォーキング続く。お腹がよく張る。体が痛い。寝不足。

BPD(頭)=85.4mm
FTA(腹)=61.3c㎡
FL(大腿骨)=57.2mm
EFW(推定体重)=2018g

切迫早産(早産が切迫している=早産しかかっている)のため、入院になりました。明日の朝から3週間点滴しながら絶対安静だそうです。
子宮の入口まで胎児が下がって、子宮口が開きかかって、子宮頸管が2cmを切る短さ(お産が近づくと短くなる)でした。←これが決め手
今夜は入院準備をして明日来てください、とのこと…。

とにかく、推定2,000gだと搬送先を探すのも大変だし誤差でもっと小さい可能性もあるから、一瞬でも子宮に留めておくための管理入院です。
2500g以上で生まれれば、この病院で処置できるとのこと。胎児の体重を500g増やすのに、およそ3週間かかると言うことでした。

子宮の中での1週間相当を成長させるためには、子宮の外では2ヶ月かかると聞きました。
これだけ発展しても、子宮に勝る入れ物がないと言うのは、本当に、母体というのはすごいですね。
胎児の成長は極めて順調なので、「生まれさえしなければバンザイ」「3週間と言わず臨月まで居てくれたらバンバンザイ」と。

しかし…
怖くて不安でつまらないのは今に始まったことじゃないけれど、さすがにうろたえてしまいました。

歩きすぎたからですか?
私の体質ですか?
赤ちゃんの体質ですか?
夫婦喧嘩のせいですか?
過呼吸になったから?
泣いたから?
実は、喧嘩のあと、死にたいって思っちゃったから?

何がどうしてそうなって、何をどうすれば大丈夫と言うことはなくて、歩く事や乳首マッサージや、骨盤体操も本来なら問題はなく、お母さんのせいじゃない、自分を責めないように。
と説明を受けました。ぶっちゃけストレスだと思います。とは言わないでおきました。

今私が出来ることは、根気強く寝たきりに耐えることだと(←これは旦那さんが調べてくれた)。

あと、「へその緒が肩にかかってるからゆっくり動かないと首しまっちゃうかも」と軽く言われました(早産に比べたらとるに足らない風でした)。


ホラね。
妊娠中は何があるか誰にもわからない。
無事に生まれるかなんて、誰にも、母親の私にも先生にもわからない。
まさか自分が切迫早産になるなど想像してなかったし。
バースプラン、書いたけど今日はスルーされて、また今度。

今は家で入院準備をして、シャンプーなど旦那さんに急ぎで買ってきてもらって、横になって、動きまくるお腹にまだだよって声をかけています。
面会時間と旦那さんの勤務時間が合わなくて、会えないのが結構悲しい。

今日は内診(膣に手を突っ込んだり機械入れたり、あと悪い菌がないか調べた)がいつもより痛すぎて、あと切迫早産の狼狽で、結構、疲れた。
妊娠後期の痛み
32週0日。月で言うと9ヶ月目。そろそろ里帰り出産の予定がある人は里帰りをし、転院する頃です。
私は里帰り出産しませんが…。
妊娠後期に入ってから、体の痛みが強くなってきました。
困っている順に挙げてみました。


●肋骨痛(就寝時、毎晩)

最近、肋骨が激痛です。寝ているときに急にピーっと激痛が走ると、涙と声がピュッと出ます。眠気もぶっ飛ぶこの痛さ。
例えることが難しいですが、強いて言うと肋骨が折れる痛みです。
ギャッと叫んで旦那さんを起こしてしまうこともあります。
子宮が内蔵と肋間神経を潰しているから痛いのと(痛み方も肋間神経痛に似てる)、赤ちゃんが大きくなって肋骨辺りの隙間に触れているから痛いのと、いろいろ考えられるようで、我慢するしかないみたい。生んだら治るとのこと。
私は、右の肋骨が痛いです。横たわると痛み、四つん這いになると少し和らぎます。四つん這いではさすがに眠れないので、解決にはなりませんが。
立っている時はたまにしか痛みませんがとにかく寝てる間は常に痛み、そして突然に強く痛むのです。


●胎動痛(毎日、数時間置きに。特に就寝時。)

胎動もますます激しくて、痛いです。睡眠不足です。子育ての前の「寝ない練習」と言われる時期ですが…「寝ない練習」ってそんな練習いらないです。寝たいです。ツラいです。
左下で呼吸をぴくぴくする胎動、右上で強い足の胎動があります。疲れと相まって泣くくらい痛い時もあります。


●股関節痛(時々)

歩いていると時々脱臼したような痛みが走ります。
骨盤が変形していく課程で痛むのと、やはり子宮が圧迫して痛むのと、いくつか理由があります。
あまりの痛さに歩けなくなるときもありました。
これも我慢あるのみ。


●腰痛・背筋痛(常時)

泣くほどではない(というか肋骨痛に比べたら我慢できる)けれど、お腹を背筋で支えるので、背筋はいつも凝こっています。
腰痛も同じく。地味にずーっと痛い状態。


妊娠初期、妊娠中期は、このような具体的な痛みは少なくて、ダルさや疲労感が辛かったように思います。
妊娠後期になって、より身体的な痛みが現れてきました。
だいたい言えるのは、生理痛様の痛みの継続か、多量出血以外は「妊娠あるある」である可能性が高いです。つまり我慢するしかない痛み。生んだら治るので医者に相手にされないのです。
私はこの痛みがツラくてツラくてたまらないので、早く出てきてほしい今日です。

旦那さんは最近、朝私が起きると一緒に起きて、昨日の洗い物をしてくれます。「手伝うって決めたから」だそうで、感激です。
多分、そのうちイヤになってやめちゃうだろうけど一時だとしてもありがたいです。
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プロフィール
HN:
nawo
HP:
性別:
女性
職業:
主婦
自己紹介:
保育士で、一児のママ。

妊娠発覚2011年4月から記録です。
切迫早産から入院→2011年12月、二時間半の超安産。
子育て中に保育士試験を受験して、保育園で働いてます。
妊娠中の記録と育児の記録、仕事の記録。

娘が人の親になる時に渡すつもりの壮大なラブレターです。

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